2002年


 今月は、個人エントリーした大会はゼロである。北海道マラソンと交互に行っている乗鞍マウンテンサイクリング(自転車ヒルクライム)があるだけだ。
 
 走る楽しさを広げる富士北麓公園での24時間リレーマラソンは、また新しいドラマを生んで終わった。楽しんでもらえてこれは本当に良かった。できれば来年は3チームくらいでエントリー、1チームはNMCトップランナーで固めもちろんトップ5を目指す。次のチームは、今年並みの走り、そして、うんと楽しめるチームをひとつ。
 そして今月はもうひとつ17日夕刻〜18日夜にかけてもう一つの24時間がある。暑い中、走りこもう。よって、今月は「トレーニングの8月」とした。9月の秋田から始まる石川さんとの4連戦に備えよう。
 
 夏山も既に行ってきた。何度も眺めてきた笠が岳(2897m)だ。この山行の2日とも7時間超の歩きで結構な運動量だ。しかも重い荷を背負っていているから。意に反したのは足元で、足場の悪いところを長時間歩いて足首が不安定になっている。写真は少し暗くなっているところ人影がかすかに見える笠が岳の山頂をバックその少し手前の祠のあるところで8月6日午後2時半頃。(8月10日記)
日付順ダイアリー 距離欄はkmでラン(jog & run)のみ記し、換算なし、端数切り捨て
距離 トレーニング内容&大会 体重 メモ(感想、体調、etc)、距離累計ピンク
1 - 時間なし - 午後18時40分メルパルクで約1時間NMC会報の校正をしながら生ビールで軽食。前回よりファイルが2MB近く大きくて、印刷に時間がかかる。画像サイズを適当なところで妥協しないと50部の印刷・折、封筒入れに3時間はかかってしまう。長野東局への持ち込みはやはり23時を回る。夜のサブトラックを見て帰る。
2 - 時間なし - 夜、キャンプ道具の足りなそうなものを綿半に買いにいく。戸隠奥社で石の間に挟まり曲げすぎた右足の拇指はようやく気にならなくなった。
3 51 7時メルパルク前集合で富士北麓公園へ
12時
- 24時間リレーマラソンin富士北麓公園

石川さんが初組の4名に真夜中を走らせた。夜中のタスキリレー、ドラマがあったようだ。演出は成功ですね。私ははじめから夜中のロングを走るつもりでいたが、それはなしだった。やはり、あの時間、黙々と走るところに24時間らしさがある。99年やその前と違い、その時間帯、驚いたことに、元気に走っているグループの方が多いのだ。
今回は、アルコールが切れなくて、スピードランは朝7時からの90分走での体が起きてきた一瞬のみ。少し飲みすぎたようだ。
テント・スペースが狭く、あの植え込み部分がなければたいへんだった。
帰路、例のらーめん屋の場所を私の1台だけ間違える。思いっきりにんにくをかけて、食べた。
諏訪湖SEの温泉にも入って気持ちよく帰ってきた。
写真は午後10時15分。珍しいNMCチームウエアで走る私。
4 12時まで。
長野への戻りは午後8時頃
-
5 - 新穂高温泉泊まり - 山行(笠が岳登山)
74歳の日本野鳥の会長野支部長・細野さんをサポートして、昨年夏に続き二人での2度目の登山。サポートと言ってもクルマ係と、水の荷揚げ係だけで、ついて登っていくだけ。本人は74歳と思えない体力を維持している。なにぶん96年からの98年までの野鳥の会の登山で下りのスペシャリストぶりを見せていて、今回の登山でもそれは健在だった。
昨年はブナ立て尾根、今回の笠新道と、既に何度か登っている燕岳への登りとあわせ、北アルプス三大急登の制覇がひとつの目的。そして槍(96年)から、奥穂(97年)から、双六(98年)から、雲ノ平(01年)からの各所で必ず見えていた笠が岳に行くことが最大の目的。
体力次第で、急登を避けた鏡平→弓折岳周りも考えたが、雨飾一度、飯綱2度のトレーニングをされていること、そしてまだ走り出す前の柳沢さんが笠新道で笠に登ったと聞いたことも加味して、「急登(笠新道)行きましょう」ということになった。そして帰路に膝に負担が少ない弓折岳→鏡平の大回りなくだりを選んだ。
第1日目(5日) 富士北麓24時間リレーマラソンの後処理があって、前夜21時過ぎの段階で、朝立ち即登山をやめて5日新穂高泊、6日5時出発のゆったりコースに変更していた。この点はKEY紛失トラブルを起してくれた西島さんに感謝したい。24時間で使った雨で濡れていたテントも干すことができ、3日放置の後始末にならずにすんだし、睡眠もとれた。新穂高では村営・笠山荘が運良く一部屋だけ空いていて、そこを確保、初日は登山に備えて長野から上宝村への移動のみ。宿は登山口に近く、登山客ばかりかと思ったが、新穂高ロープウェイや昼は20分おきに出ている上高地へ行く人ばかりのようだった。この温泉には満足、露天風呂もいい。最終日のところで書くがひとつだけ残念なところがある。アルバイトの関西訛りの女学生にどこと聞くと京都の人たちで同志社と京都府立だそう。立(リッ)ちゃんとしてはこれはなつかしく、少しお話してしまった。
第2日目(6日) 記録・写真整理中
第3日目(7日) 同
6 - 5:15新穂高温泉発、小池新道・笠新道で笠が岳へ7時間20分(笠が岳山荘まで)山頂まで+15分 -
7 - 5:45笠が岳山荘〜弓折岳、鏡平経由で新穂高温泉へ下山14:00 -
8 - 休養。パソコン・デスクワーク用めがねを取りにWASHINへ - 階段の下りがきついね。また足首から下がむくんでいる。これは靴の履きっぱなしにもよっているかもしれない。昨年の登山では休憩時は靴を脱いで足を開放していたから。不安定な足場を長時間あるいたせいだろうか、足首の安定性がない。ここは疲労している感じだ。
9 - 休養 - 23時台からのミッドナイトランをサブトラックでやろうと、ランパンと上はユニクロ・クールマックスTシャツで飛び出したが、右足首の不安定さゆえ、200メートルで引き返してきた。主に大量の水だがこれを背負って、また大型ザック故のそれ自体の重さもあり、これが体、足にかかり、何か骨が垂直に圧縮されたかのような感じもあって、とにかく足首の状態が良くない。こんな時には回復を早めるため積極的休養だ。土日は重みの負担のない自転車で鍛えよう。チームイージーで日曜日、オラホツーリングが企画されている。
10 - 休養 - 足首なんともなし。朝からビールで、夕方さめてから、タカギへビールを買いにいく。粋生とサントリーのモルツ。
11 - ツール・ド・オラホ(自転車)120km 58.2 いつもより早い集合で、朝飯抜きで、カロリーメイトをくわえながら、長野運動公園へ。7時半過ぎロードレーサーの7名とMTB(スリックタイヤ)の私が、中村さんに見送られて出発。毎回、ツール・ド・オラホの時は誰か誰か送ってくれる方がある。
片道約60km、往路は私のメーターでは59.38km、所要時間2時間49分(信号待ち含むがコンビに休憩時間は除く)。帰路はほぼ距離は同じだが、往路と多少コース変更して所要時間2時間半くらいだったように思う。
そういえば、ご夫婦参加があり、よってオラホでは初めて女性の参加がありだった。
こちらは日焼け止めローションを塗った部分とウエアの境目が相当に日焼けしてしまった。境目がないように塗ったはずなのに、これは失敗。また飲んだ水系は5リットルを越えていて、これもすごい量。
先週から登山、自転車と長時間ものが続いた。
写真は、帰る前、オラホ・ビールの工場レストランをバックにこの日の全員集合。
<午後4時半帰宅後>体重は左欄、体脂肪率14.0 体脂肪量8.1 累計51kmのまま。
12 - サボリ - 石川さんのところ、ワインの試飲会に行く予定が、雷雨、怖くて動けず、ビル1Fの「のみの市」でゴーヤちゃんとハイネッケン、オリオンを飲み待機、行けないかもとの連絡を入れたので、そこでゆっくりしてしまう。雨はやまず、JRで帰ることに。
夜、さめてから流星を見ながら走ろうと思ったが、あいにくの曇り空。
依然としてランの距離は止まったまま。
ランナーズより24時間の記録証が届いていた。24時間の表示時計の前の記念写真入りで、パソコン刷りだしのもの。A4なので、とりあえず、お盆に出る方々には直渡し。
13 - サボリ - この日記はランニング・ダイアリーなのに、なかなか走りが出てこないこの頃。こう書くと今日も、飲んだかと思われそう。その通りでした。
14 4 すすき川お盆駅伝 -
継続のために簡素化して行われたすすき川走る会主催の「すすき川お盆駅伝」そのスタートをとらえた1枚。塩沢さんと西島さんがちょうど写っている。「たけし」とあるのは、村主催の駅伝大会のある武石村からの参加チームのよう。このように大人から子供まで参加するまさに市民駅伝。それでも上の方は高校の陸上部が出たりと、激しいトップ争いがある。スタート直後を除いては、この左側のみの歩道中心となるすすき川堤防の松本市民のランニングコースで行われている。
私はNMCのCチームのアンカーで走ったが、過去の何回かの4キロで一番のワーストタイム。最近、とにかく早く走れない。まだパルスグラフを見てないが、ある線より上げないようにしているのが、その原因。そして、短い距離のロードレースに一切出ていないので、苦しさを我慢して走るのというができなくなっている。いつも快適ランの水準。これだとすごく楽なのだ。
轟さんから結果が入ったので、明日にでも、HP更新作業に取り掛かろう。タスキリレーがうまく取れたのは、羽田さんと柳沢さんのところ、それをメインにしよう。お楽しみに。累計55km
15 - - - 16:00小雨にちょうど日があたり、虹。くっきりときれい。浅川の堤防道路からこれを見て、タカギでビールを買い往生地公園へ。中学以来の友人とそこで飲むことになっていた。天井が高いメルパルクはともかく、どこか飲み屋に行ったところで、タバコの煙でいやな思いをするだけだからと青空の下に決めたのだ。いいビールを買って行った。エビス、サントリーのプレミアムビール、これはサントリーの方がうまい気がする、と二人の結論。そして値段は1本160円と下がるがエチゴビール製造の「粋生」(粋生発泡酒は輸入品なので注意を)も飲んだ。
本日もビールに完敗で走れない。
16 - - - お送り盆で、酒を飲んでいけないといわれ、朝から飲めなかった。ならば走ればいいものを明日は走るんだからとサボる。
17 13 24hリレーマラソン第1日目 - 19:00スタートだから、18:00で十分と思っていたところへ杉山さんが夕方17:00に来るという。石川さんと「それなら17:00集合としますか」ということになっていたが、午後1:30まで仕事。その後、テントや机張り出す文書類を作っていたから、家に戻り、車に荷を積み込むのが時間ぎりぎり。あわてて、玄関のドアに左足のかかとを挟んで、皮1枚えぐられる。摺れるところで、ちょっとまずい場所。
昨夜、遅くなってしまった返事を書いた南佐久の三石さん宛てのクラブ会報入りの封書を運動公園近くの長野東郵便局から石川さんに投函してもらう。
その石川さんが戻り18:10まず、この日のために、そして今後の練習会用に購入したばかりのクラブテントを張る。宮本、山本、丸山一とクラブを代表する速いランナーが3名がお手い。そして実行委員の石川と杉山会長だ。(20日記)
18 同上第2日目 - 昨夜からの24時間リレーマラソン。予想以上に人が来てくれて、またご家族の方もお見えになり、これは良かった。市民体育の日といっても、陸上競技場は中・高生は午前中でおしまい。午後はクラブでまるで貸切状態だった。幾分、日も翳って、いい状態が続いた。最後はお盆駅伝土産のスイカ2つを食べるために、芝広場のあるサブトラックの方へ移動した。ここで、とてつもない盛り上がりに突入しようとは…。
第2回富士北麓公園24時間リレーマラソンで、高木・石川・三田含む6名が307km走った実績が話題になり、これだけ大勢で越せないのか、と残り時間とこれまでの積算距離を計算しだしたところから、様相が一変した。300mトラックの1周つなぎリレーが始まってしまったのだ。そして1周60秒を切るタイムトライアルめいてきた。カウントが聞こえ、最後のダッシュでタスキを渡す。石川さんなどヘッドスライディングまで見せた。それをくりかえして、307kmを越すことが確実となり、貯金もできて、少し普通の走りになったが、そこまでの「次に誰が行く?」、その順番待をちして芝生に座っているみんなの顔、このなんとも楽しく、いきいきしていたことか。私も、かかとのことを忘れてつい走ってしまった。
24時間は少々きついが、こんなこともできるのは夏ならではだろう。好きな時間にまさにトレーニングがてらに参加できるところがいい。やはり来年もやるとすると12時間では半端でインパクトがないので24時間だろうな。累計68km
19 - - - かかとの傷を治すためにランは休み。
20 - - - 柳沢さんにチャリティ募金をTSB届けた写真を持ってきてもらう。場所が「メルパルク」だから、飲まないわけに行かない。そこで飲んでいて、まだかかとが治らないし、今晩石川さんを走らせてはいけないと、確か「レフティ」に移動する前にその場所を指定して、呼び出した。
「レフティ」は他の客はおらず、きれいな空気の中での秋刀魚の刺身がうまかった。今度客がいないときは電話で教えてもらおう。サロマに行った時の宿泊地・紋別市の「味処あずま」はカウンター席禁煙で、そこで安心して食べられた。生ものに、いや料理にもタバコの煙は失礼だ。これのひどい例は恵比寿にあるサッポロビールのビアレストラン、一人で入ったら、中央の円テーブルカウンター席に案内されたが、横で女性客がタバコを吸っていてビールが台無しだった。
本日のビールに完敗。(21日記)
21 - - - かかとがあと1日で完全に乾きそうなので、今日もランはお休み。これランニングダイアリーなんだけど、ちっとも出てこない。今月100キロ危ないぞ。
22 - - - 夕食時缶ビール1本のみにして、走りに出るつもりだった。ちょっとTVを見ていて失敗、NHKの山田太一もの、これがいつもより開始時間が30分遅くなっていて、これを見終わって走りだすのは億劫だった。
23 17 朝5、夕12通勤jog、いずれもヘビーハンズ使用。時間が少ない分、これでカバーだ。 57.6 <午後7時半帰宅後>体重は左欄、体脂肪率14.5 体脂肪量8.4 累計85kmだ。しかし、これで今月200キロ行ってしまおう。これから今月のタイトル通りトレーニングの夏にする。
秋田はどう行こうか? 田沢湖マラソンで泊まったことのある水沢温泉なら一人でも連泊可能だから、そこに宿をとる方向を考えている。素晴らしい土の400mトラックがあるしね。
24 - 乗鞍マウンテンサイクリングのための移動日 - 乗鞍高原の鈴蘭地区に14時45分に着。月曜日に観光協会を通じて運良くキャンセルがでたとのことで確保できたP・ポエティカルにチェック・イン。まずペンションの自販機にあったエビス、そして徒歩で近くの受付会場に。ゴールタイムを計る自転車の車軸に垂らす測定器は自転車でいかなかったのでテスト計測はしなかった。これは代理受付をした黒岩さんの分も同じ。故障はないだろうと信じて。
何かすごい人という感じだ。次年からマイカー規制となる関係で、今年の乗鞍は相当な人の入り込みとは聞いていた。信濃毎日新聞でもクルマの渋滞の写真が出ていたが、今日は明日のレースの人でキャンセル待ちでないと宿がとれない、という過去に例のない盛況ぶり。
写真はペンションでの夕食時、話が弾んだお二人、明日チャピオンの部で出る東京の杉山ご夫妻と。もちろん出るのはご主人。
参加名簿を見ていて、今回初めて私は男子51〜60歳のFクラスとなったが、233名がエントリー、その下41歳〜のところは675名が、さらに下31歳〜は1305名がそれぞれエントリーしている。では上はというと、61歳以上はたったの40名しかいない。自転車はマラソンと違い若い世代・30歳代のスポーツなのだ。それでも私の世代、61になった時、この数は増えるのか減るのか? 先が楽しみ。
黒岩さんが代理受付しておいたセットを取りに、夜いらっしゃったが、このHPを見たのだろうか、エビスでなくサントリーのプレミアムビールを2缶下げていらしてくれた。既にエビス缶3本、夕食時生絞り中瓶3本あけていて、さらにプレミアムも飲めば、夜中から脱水症状をきたす。しかし誘惑に勝てないだろう。
温泉風呂には明日の下山時も含め、5回入る予定。
25 - 乗鞍マウンテンサイクリング(ロードレーサー) - 1時間34分台のゴール後。
自己ベストには3分及ばないが、コンスタントにぺタルを踏んでまた引き割と楽に登れた感じだ。このところ35分内の力維持のままきている。今年、笠岳峠2回半、昨年は7回やって北海道マラソンの方へ行ってしまったのがもったいなかった。笠岳峠をこなしておけば、乗鞍は楽に感じられる。鎌田林道それ自体と山田牧場分岐から笠岳峠間の道は、乗鞍のコースより傾斜がきついのだろう。
私の下山の頃、ゴール付近が渋滞となってきて、せっかく頑張って登ってきても、歩いてゴールと見ていて気の毒だった。とにかく、過去最高の参加人数だったのではないか。それを実感する、スタート直後の登りの混雑、中途も、人を間をぬってというところがあり、そのロスはチャンピオンの部以外の各セクションみんな共通だったのではないか? イージーの黒岩さん16分台、NMC松崎さん17分台、上水内陸協の清水さん22分台と知り合いは速い。自転車だけの仲間では、篠ノ井の厚生連病院の中沢さんも私同様30分を切れないようだ。久しぶりにコース上で中沢さんと顔をあわせた。注目の怪人・岩田さんは優勝したのだろうか?
4日以内に乗鞍ページを立ち上げるので、ゴール付近で写真を撮った黒・松・清さん待っていてね。
26 6 飯田の夜の街を走る - 飯田で夜の10時半まで会議で泊まりとなる。ホテルにチェックインして、「走っておかないと」と持ってきたジョグセットに着替えて夜の街へ。まずホテルオオハシから500mほどの、明日会場手続にいくサントピア飯田へ。飯田城あとの温泉ホテル天空の城のある丘を下り、次の丘をのぼるという感じ。それから来た道を戻り、飯田駅へ。これは完全な上り坂となる。りんご並木なども走ったが坂の多い街だ。この街の人はアップダウンに強くなるだろうな、などと思いながら酒の置いてあるセブンイレブンへ。ホテルにはエビスもモルツスーパープレミアムもないから買出なのだ。おめあてのプレミアムはなく、エビスと普通のモルツの各500缶を1本、アーモンド&カシューナッツ、牛乳500mlも買いホテルに戻ったのが23:55、6.5kmしか走れなかった。掲示板書き込みで、日曜日、マラニックをしている人が多く、秋への備えが遅れている自分に苛立っていたから、少くとも10kmは走れば良かったものを。結局、仕事が終わって早くビールが飲みたいのだ。今月、タイトルのトレーニングの夏は、タイトル倒れ。累計91km
27 - サボリ - 昨日の飯田出張から午後職場にもどった。職場のロッカーにたまった洗濯物を持ち帰る関係で、帰路は自転車、帰ってビール。酔いがさめて涼しくなった夜に走ろうと思ったが、何か睡眠不足で疲れていて早く眠ってしまった。これは28日午前3:30に記
28 - NMC夏行事打ち上げ(メルパルク)18:30〜 - 掲示板に高木さんの奥さんが投稿していて、高木さんが入院したことを知る。通院手術と思ってたのに、全治2ヵ月とはショックだ。
飯田出張の日、夜10時半までの会議に入る前の7時頃杉山さん宅へ電話、伝言を頼んだのに、本人に伝わらなかったようで、「打ち上げ」に会長の出席なし。ネツト、ファクシミリ両方からもれているので、こういうとき不便だ。
メルパルクに来た順で、私、石川、柳沢、武捨、小林、西島、佐藤だったかな?私は8月3回目。その後移動したレフティに理香さんが来て、撮った集合写真はここ。次年の24時間などに話が弾んだ。
29 13 23:15〜ナイトジョグ、家・運動公園サブトラック・家(ヘビーハンズ使用)
- 久しぶりに酔いを醒ましてナイトラン、出がけに犬が散歩を催促したので、出発が遅くなり、正確には30日にまたがっているのだが、走り込み大会の日でないので本日につける。運動公園サブトラックに出かけた。オレンジライトは北東の1灯のみで、これが消える0時15分まで走り、月明かりでもう1周走り、家に戻った。予定の15キロに及ばない13キロ。それでもようやく、今月3桁にのせた。31日は定番地ビールマラニックで距離を稼ごう。黒姫〜妙高へ自然歩道で抜けるコースを開拓、簡保の宿の温泉に入ってこようかな。それで今月150キロってところかな。少ない。累計104km
30 - サボリ - ビールを控えめにしてナイトランのつもりが、どうしたわけか、早寝してしまった。
31 - 結果サボリ - 昼間は暑いので、走らないことに決め、冷房をつけた部屋でパソコンに向かっていた1日。HP用の写真のサイズ変更、まだリンクは入れてないが二つの24時間をupした。予定では夕食後のビールが冷めてから、3時間くらい走るつもりが、ちょうどナイター中継で遅れていた「ウォーター・ボーイズ」が始まって、これを見てしまい、予定のナイトランは24時過ぎで、9月1日付となる。
21日付でもらっている手紙、南佐久の三石さんへの再度の返事はまだ入力してなくて、これも気にかかっている。メールだと開封後、即返信するんだけど、郵便となると、ちょっと億劫さが出て時間がかかってしまう。パソコンを入れたばかりという、三石さんが早いこと、慣れてくれるといいんだけど。
目標 300 - - 8月の結果 トレーニングの夏はタイトル倒れ。秋田100に赤信号、対石川1敗目確定。去年の夏は北海道マラソンを入れ149だから、8月は結局、ビールを飲んで走れない日が多く、これは毎年のこと。結局今年もそれから抜け出せなかったということだ。メルパルク飲み放題の回数も多く、今年は過去3年の夏で最高に飲んだといえそうだ。タイムをせめなかった乗鞍、楽に登っているので、心肺機能は維持というところだろう。
結果 104 - -
上で、runはキロ4分〜5分30秒内、jogはキロ5分30秒〜6分30秒の範囲。

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ダイアリー関係のそれ以前は下
    1987年から2000年7月までのトレーニングとフルマラソンの大会結果一覧
    2000年 8月と9月 10月 11月  12月