トップページの変遷7

Santax & 長野マラソンクラブの前回のトップページは、以下の通りでした。
2001年11/21、11/24、11/30、12/2、12/6、12/8、12/13、12/18の8回の更新を新しい順に


2001/12/18-24

長野マラソンクラブ会員数の推移

本年、記録に残る最高の44名です 

 このホームページで少し長野マラソンクラブの生い立ちを取り上げてみます。
 ホームページをみてもクラブ部分はホームページを始めた昨年6月くらいからのこと、またクラブ紹介ページで記した最後の「信越駅伝」の1998年及び「オリンピック記念長野マラソン」が始まった99年あたりからのことしか、分からない。理由はクラブ事務局担当の三田(開設者走暦参照)のクラブ暦が浅いことにあります。それでも会報作りで昔の文集から前・池田会長(前列の右より3人目)の文を復活させたり、現・杉山会長(前列中央)から送られきた旧い資料を少しずつ整理中ですので、そんないくつかを紹介します。

 まず第1回は、「クラブ紹介ページ」で出ている現在人数44名に至るまでの数的な推移を紹介しましょう。
 前歴をどこにとるかで、いろいろあるのですが、現在のクラブの名前がついた年をとると昭和59年(1984年)の信越駅伝出場の年のようです。このころの会員数の正確な記録はなく、数がきっちり掌握されているのは会員数の推移のグラフにありますように昭和62年(1987年)からです。
 88年の37名を最高に、30人台をキープする時代が続きました。池田前会長がクラブは信越駅伝に出ようとした「皆の力で生れた」と書いていますように、信越駅伝連続7年出場で活気があったようです。
 その後抽選洩れとともに会員が減り出し、信越駅伝に復帰できる1年前の97年には18名に落ち込みました。
 最近の「復調」は信越駅伝と信毎マラソンに替ってより市民サイドの大会として生れた「オリンピック記念長野マラソン」によるものです。これをメインに据えて、一人でも多く市民が完走できるよう呼びかけて試走会などの取り組みを進めているのが会員増につながってきました。
 丸山部長が準備した前回紹介の忘年会も会員44名のうち24名が参加とにぎやかに開催されるようになりました。(上の写真参照。撮影者・文とも事務局三田)

02年第4回長野マラソンに向け

コース試走会を始めています 

 長野マラソンクラブでは2002年4月の第4回長野マラソンに向けコースの部分試走会を始めました。
 写真はその第1回、12月2日から。ポイントとなる五輪大橋を行く左より宮本、大貫、武捨の3名。第1回報告は「トップページの変遷」に保存。
 
 次回のクラブ主催試走会は
2002年1月20日
で既に「NMC今後の予定ページ」に案内済みです。
 また別に三田個人が晴れの休日に、個人的な試走を重ねますので、その際は本HPチェックで、ご一緒にどうぞ。サブスリー狙い以外なら、そう3時間20分〜5時間までの間ならご希望のペースで一緒に走ります。(NMC事務局・三田記)

2001/12/13-17

長野マラソンクラブの忘年会

レベルアップ反映、走りの話題で盛り上がる

 
 長野マラソンクラブでは12月9日午後、長野市の「サンパルテ山王」で年末月恒例の忘年会を開き、本年度加入のメンバー6名を含む24名(ボランテァ1名含む)が参加しました。
 
 一人ずつ走りへの思いも話してもらい、ジンと来る話もありました。またビールを持って各所で話が弾んでいました。メンバーのレベルアップを反映するような勢いのある華やいだ宴となりました。
 そしてベテランランナーからも来年の長野マラソンでのタイム宣言も出て、いい形で、次年へ向っていきそうです。

 
 事前の練習会はこの冬長野市一番の寒さかなと思える小雪舞い風吹く中でしたが、約1時間行いました。既に30キロを走ってきた二人を含む11名が裾花川堤防(写真)の車進入禁止となっている安全地帯を走り、入浴後、忘年会となっています。この方々は、ひときわビールがおいしかったでしょう。(NMC事務局・三田記)

 

02年第4回長野マラソンに向け

コース試走会を始めています 

 長野マラソンクラブでは2002年4月の第4回長野マラソンに向けコースの部分試走会を始めました。
 写真はその第1回、12月2日の第2集合地点の小布施橋で。第1回報告は「トップページの変遷」に保存。
 
 次回のクラブ主催試走会は
2002年1月20日
で既に「NMC今後の予定ページ」に案内済みです。
 また別に三田個人が晴れの日曜日に、個人的な試走を重ねますので、その際は本HPチェックで、ご一緒にどうぞ。サブスリー狙い以外なら、そう3時間20分〜5時間までの間ならご希望のペースで一緒に走ります。(NMC事務局・三田記)

 

長野マラソンコース試走会日程
(小布施橋から南長野運動公園)
●2001年12月16日…三田個人が走るは路面大雪のため中止です。
●2001年12月24日…三田個人が走る(NMCの1月実施時間と同じ)
●2002年1月6日…同上
●2002年1月20日…NMC主催で雨天決行、詳細は上の「NMCの今後の予定」参照。
●2002年1月27日…三田個人が走る(時間など追って掲載)
●2002年2月10日…同上
●2002年2月17日…NMC主催で雨天決行、詳細は追って「NMCの今後の予定」でアップ。
●2002年3月10日…NMC主催で雨天決行、詳細は追って「NMCの今後の予定」でアップ。

2001/12/8-11

02年第4回長野マラソンに向け

コース試走会を始めました

 NMCでは2002年4月の第4回長野マラソンに向けコースの部分試走会を始めました。
 その第1回はこのHPでご案内してきましたように12月2日。まだ時期が早いこともあり、「市民新聞」やリンク関係の「チームイージー長野」のHPにもお知らせは出しませんでした。
 集合写真は第2集合地点の小布施橋西で。(一人コースオーバーでこの時いません…宮本まさみさん撮影)
 晴れの好天に恵まれ、特に小布施橋-五輪大橋間は無風でした。ちょうど県ロードレース須坂大会とも重なり、クラブのトップグループがそちらに出た関係もあり、「5時間完走めざしキロ6分〜7分ペースで」と呼びかけていました。しかし全員完走経験者の参加となったため、所々でキロ5分台に突入、「抑えて抑えて」の声が出たほど。以下は一足先に報告済のクラブ事務局三田のマイ・ダイアリーから引用。
「河口湖での足の血豆から荷物運搬のボランィアに回った木下さんを含め、クラブメンバー9名の参加。特に前週フルを走っている、つまり、河口湖を走った宮沢・武捨・飯泉の3名、尼崎の大貫、福知山の宮本の皆さんが前週の余韻を楽しむかのように参加されていた。したがって走りながらの話題はその3大会、またウルトラ・ランナーの仲間入りをはたした飯泉さんとクラブNO.1ウルトラ・ランナー石川さんの参加でウルトラ談義も盛んだった。小布施橋スタート11:08、途中Mウェーブ過ぎのコンビニ・エイド休憩を含め、ちょうど3時間で全員が南長野運動公園に着いた。」
 次回のクラブ主催試走会は1月20日で既に「今後の予定ページ」に案内済みです。また別に三田個人が晴れの土日に、個人的な試走を重ねますので、その際は本HPチェックで、ご一緒にどうぞ。サブスリー狙い以外の全てのご希望のペースにあわせて一緒に走りますので。(NMC事務局・三田記)
 ー写真の2枚目は村山橋を過ぎ排水機場所を過ぎたあたり、小布施橋から約6キロの地点、試走会初参加のサブススリー狙い組の一人野池さんが撮影、先ほど遅れた石川さんが加わっているー 

県ロードレース須坂大会

NMCメンバーの出場4名が全員入賞!!! 

轟  哲郎 36分45秒 3/17
丸山一二三 36分53秒 4/17
山本周一 37分03秒 5/17
塩沢一郎 38分04秒 6/17
 同じ12月2日、2001年県内大会の締めくくりとなる「県ロードレース須坂大会」にNMCより4名(山口さん風邪のため欠場)10qの部に出場しました。
 須坂高校前を発着点とするこの大会のコースは、複雑で何回出場してもよく把握できませんが、10マイルに続き10qがスタート!
 最初に丸山さんが先行するのを、2k手前で私が捕らえ前に出ます。山本君は最初かなりゆっくり目の入りの様でしたが、
2.5k手前からの長い下りを快調に走り、丸山さんと私を交して行きました。 下り切ってからの緩い上りでなんとか山本君に追いつきそのまま折り返し点まで並走します。逆に折り返し後の下りで少しスパートをかけて山本君を離しにかかりますが、直ぐ後ろに丸山さんが迫っています。次のカーブで後ろを確認すると、今度は丸山さん山本君の順で、直後に迫っています。
 ここから復路の長い上りです、後方の2人が気になりますが、足元に集中してピッチで上ります。上りきったカーブでは逆に山本君丸山さんの順で差はほとんど変わりません。ここから
ゴール迄残り2kNMCの壮絶な順位争いです。何とか凌いでラストスパートが効く残り200mで後方を確認して渾身のスパートで辛くも逃げ切りました。続いて直ぐ後から丸山さん、山本君が続けてゴールに入りました。塩沢さんも6位に食い込み、何と全員入賞という最高の結果がでました。タイム的にも36分台が出ましたので満足しています。
 スタート前には、「福知山マラソン」サブスリーの宮本さん夫妻が応援に駆けつけて下さいました。まだ足が痛そうでしたが、心地よい痛みでしょう。ゴール後は「長野市駅伝部」の合同練習で立ち寄った梨本さんが顔を出して下さいました。東和田運動公園から走ってきたそうです。忘年会が楽しみですね!(12/2記・轟哲郎)

 


2001/12/6-8

「W32/Badtrans」ウイルス

広がり騒然、毎日来ます。チェックを

 NMCクラブ事務局の私のところに、このところ毎日ウイルスメールが来ています。NMCクラブメンバー以外で私のメールアドレスを入れている方でこのウイルスに感染されている方がいらっしゃるようなので、予定を変更してチェックを呼びかけます。

 このウイルスについては、その広がりが凄いためか、ウイルスソフト大手のトレンドマイクロに続き、シマンテックもこのウイルスに関する駆除ソフトを公開しています。
 このウイルスについて詳しくは通商産業省の関連機関のIPAセキュリティセンターのホームページ http://www.ipa.go.jp/security/index.html をご覧下さい。
 
 写真の上が今夜、「ウイルススキャン」がウイルス付メールを捕らえたシーン。


そのメールについていた添付ファイル。
ファイル名をxxxxxx.yyy.zzz で見ていくと
左の本日来た例ではyyyのところが MP3
ここはほかにDOCの場合も有り。
zzzのところは左では pif
ここはほかに、scr の場合有り。


ウイルススキャン(McAfee)は私の99年6月末購入のバイオに入っていたソフトで、期限切れ後も「優待版」を購入し、使用しています。EメールなのにEメールスキャンでしないところが、分かりにくい。右のようにダウンロードススキャンで感染ファイルを捕まえている。いまいちわかりにくいソフトで、ソニーも最近の同種バイオは他のソフトになっていますね。

 今ウイルス蔓延のこのとき、ウイルスソフトの展示デモをして実際、ウイルスを捕まえ、削除する方法をデモで見せてくれたら、売れると思うんですが…。
 
 今日のウイルス満延には、マイクロソフトのIE(Internet Explorer)をパソコン購入時のまま、ネット上で最新版へ更新していなかった方が多かったこと及びインストールされてるウイルスソフトも始動更新させてない方が多かったことが上げられます。IEはWindows Update をクリックして、製品更新へ進み、最新版をダウンロードする、これがされてなかったことが、一番の原因でしょう。これだけパソコンが普及してきたら、私が「優待版」を購入直後に出た最近の「ウイルススキャン」のように、自動でアップデート出来る仕組みをI Eにも望みたい。(NMC事務局・三田)

NMCメンバーの皆様へ

12月9日忘年会、出欠連絡は全メンバーからありました。ありがとうございました。 

 長野マラソンクラブの12月9日の忘年会には、12月6日21:00現在、44名(会員数44名)の方、全員より連絡をいただき、「2001NMC今後の予定」ページにの「エントリー状況」欄に上げてありますように、23名(うち事前練習会14名)が出席となっています。
 なお、この長野市内で開催の忘年会よりクラブ加入ご希望の方は、本ページ末尾の封筒イラストをクリックしてメール連絡か、クラブ事務局の携帯090-1530-5083へ連絡ください。ご案内を差し上げます。


前回トップ…福知山マラソン等は「トップページの変遷」に移してあります。その最新版をご覧下さい。


写真
「2002年長野マラソンに向けた小布施橋からの試走会」その第1回は晴れ。スタートの小布施橋を後にしたところ。12月2日11:16撮影。


2001/12/2-5

宮本さんの「福知山フル」報告 

2度目のサブスリーを達成

 先にこのトップページでお伝えした河口湖&尼崎より2日前、11月23日京都府・福知山で「ランナーズ」のフルマラソン・イベントの一つ「第11回福知山マラソン」が開催されていた。この大会にNMCのサブスリーランナーの一人、宮本恭志さん(飯山市)が参加していて、その大会レポートが届いているのでお伝えしたい。

 
宮本恭志11月23日、京都・福知山マラソンに出場してきました。前日の夜、11時に京都に着き5時間の睡眠での出場でした。まだ夜明け前の薄暗い朝6時、京都市内を出て福知山へ向かいました。とても寒い朝でした。
 福知山駅からはシャトルバスで移動。すでに沢山の人が集まっていました。
 ストレッチをし、軽くアップをしてスタート地点へ。整列をして待つこと数分。10時30分、号砲と共に1万人余のランナーがスタートした。最終ランナーがスタートラインを通過するまでの時間は、なんと8分!
 朝から気温が上がらず、寒いレースになるかと思ったのもつかの間、途中から天気になり、だんだん気温が上がりはじめ、むしろ暑いレースになりました。
 川沿いの田園地帯の風光明媚なコースで、アップダウンはありますが25kmまでは基本的に下り。25kmからゴールまではゆるやかな上りでした。給水所が14ヵ所・トイレも13ヶ所あり、その点ではすごく良かったです。
 ハーフまでの入りが早くサブスリーは難しいと思っていたのですが、ゴール間近のラスト2kmのきつい上りをふんばってふんばって、なんとか2時間55分18秒というタイムでサブスリーを出すことができました。
 なお、1万人余の出場者の中、完走は6444人でした。

 宮本さんのタイム…一般男子35歳〜39歳… 2時間55分18秒…13位/完走者814人(総合155位/6444人)…今年2月の「さいたまマラソン」に続き2度目のサブスリー、宮本さんについては左枠の「クラブメンバー走暦」パートV内を参照。
(写真は、宮本まさみさんが撮影)


NMCメンバーの皆様へ

 12月9日忘年会の出欠連絡葉書の投函を至急お願いします。

 長野マラソンクラブの12月9日の忘年会には、12月1日22:50現在、28名(会員数44名)の方より連絡をいただき、「2001NMC今後の予定」ページに上げてありますように、18名(うち事前練習会12名)が出席となっています。
 残る16名の方、お手元の往復葉書の返信が未投函の会員の方は至急投函して下さい。
 なお、事務局と担当幹事(丸山さん)間で連絡をとり、参加者名は順次、「2001年NMC今後の予定」ページにupしていきます。
 また、この長野市内で開催の忘年会よりクラブ加入ご希望の方は、本ページ末尾の封筒イラストをクリックしてメール連絡か、クラブ事務局の携帯090-1530-5083へ連絡ください。ご案内を差し上げます。



前回トップ…河口湖マラソン等は「トップページの変遷」に移してあります。その最新版をご覧下さい。


写真速報「2002年長野マラソンに向けた小布施橋からの試走会」その第1回は晴れ、五輪大橋までは無風と好条件に恵まれました。12月2日11:56撮影。











2001/11/30-12/2

NMCメンバー続々とタイム更新

河口湖で、武捨さん3時間半内突入
飯泉さんも4時間内ランナーに

 11月25日の河口湖マラソン(フル)でのNMCメンバーのタイム更新情報が相次いで入ってきた。日々のトレーニングが正直に結果に結びつく「市民マラソンの世界」を実感させてくれる嬉しい便りをまず2点。

武捨俊之(ゼッケン5442)…河口湖走ってきました。目標にしていた3時間30分を2分切る3時間28分ジャスト(ネットタイム3:27’50)で完走です。ゴール後の前泊した民宿での昼メシと家へ戻ってきてからの麦酒が実に美味でした。
 30〜35キロのラップが少し落ちましたが35キロ以降ペースアップでき、残り5キロ以降は苦しみながらもゴールまで爆走?!これも10月の走り込みの成果でしょうか。
 今年も快晴で富士山が綺麗に見え気温が上がって10月中旬の陽気だったとか。楽しウレシの河口湖でした。
(写真はスタートして500mくらいの河口湖ホテル前と河口湖大橋からの富士山)
 クラブ事務局:武捨さんは今年の長野マラソンで3時間35分51秒、今回待望の30分を切りました。走り込み大会前に立てた「目標」達成です

飯泉大輔
…飯泉です。日曜日に行われた河口湖フルマラソンの結果を報告します。記録は3時間52分17秒。ネットタイムが3時間50分54秒でした。去年が4時間50分でしたから、一時間余り速くなったようです。でも、あまりタイムは気にせずに走りたいものです。
 クラブ事務局:飯泉さんは昨年の河口湖でフル初完走でした。今年の長野マラソン4時間36分32秒。10月の四万十川100完走と来ています。四万十川の前までは3ヵ月連続300キロを越すトレーニング量でした。クラブで今年最も力をつけた一人ではないでしょうか。

そしてもう一人、サブスリーの一歩手前で安定中のこの人からも
松崎良一…スタート地点に並んだのは8時15分ごろだったのです。あせりました。記録は3時間3分で、またもサブスリーは達成できませんでした。それでも今回は、ハーフ時点であんまり好調じゃないと判断した(それに今年も暑かった・・)ので、タイムよりつぶれない走りを優先したのがそれなりの結果になったのでは?と判断してます。なんせ、フルでほとんど歩きを交えなかったのは今回が2回目なんですよ、実は。これで年内の大会は終了です。来年は1月末に、大雪とかなかったらば館山に出場する予定です。

NMC事務局:ほかに、斉藤さん、木下さんが参加したはずです。また松崎さんが宮沢さんを見つけたようで、当クラブからは6名参加のようでした。報告お待ちしています。

尼崎シティマラソン(フル)便り

大貫博…11月25日11/25尼崎シティマラソンの結果。無事完走しました(4時間38分前後)。歩かず文字通りの完走ができました。体調は、大丈夫そうですので12/2は予定通り参加させていただきます。(私いつもは、眼鏡かけてますので)。
NMC事務局:渡良瀬で初フル完走、中13日での連続フル完走! 「やりましたね」。12/2そのお話聞かせてください。


2001/11/24-30

第11回広島ベイマラソン

18日坂町で、湾を眺め452名が走った

 左は地元広島呉の西川昭さん。59歳、3時間9分で自己の同大会ベストを更新し、男子50歳台以上で5位になった。400名会員がいるという、広島壮年走ろう会のランシャツだが、「フル百楽走会」の会員でもある。ということは、この前の週は九州・小倉市の鱒渕フルで、今週は河口湖と連続してフルを走る。既に100回の達成者で、「フル百」の会にあってはタイムが速い人ベスト15内の一人だ。
 長野から参加の私はNMCでエントリーだが、右肩に「フル百」のリボンをつけて走った。この会では各大会で「見つけたら自己紹介をして全国の仲間と顔見知りになる」と会則に書いてある。そのリボンを見つけて、西川さんが集団から抜け出していく時に声をかけてくださった。
 5〜40qが大会会場から2.5q行った所から折り返す5qの周回になっており、この行きと帰りとで都合14回顔を合わせていて、写真はラストの戻りでゴールに向かう時に撮影。それまで折り返しからの西川さんとの出合は、湾を背景に出来なかったが、右足シューズ・甲の圧迫部調整での私のタイムロスがこのタイミングを作ってくれた。

 大会のポイントはその7回の周回だ。距離表示が心配だったが、途中にも2ヵ所の各周回の距離表示があり、これらを目安に出来た。天気は晴れから曇りとなり、また晴れる変化で、海の色と景色がそれなりに変化して、あきさせなかった。
 エントリーは653名(男590名,女63名)で、制限時間5時間の完走者は452名、他に、5`のジョギングに445名、(男312名,女133名)、ウォーキング93名のエントリーがあった。驚いたことに小学生と中学生がフルに6人ほど出ており、小学生と思える男の子がいい走りをしていて、その4時間のゴールを見た。
 広島の旬かきを豊富に使った雑炊(左写真)がゴール後参加者に無料食べ放題で振舞われていて、会場の別テントで購入した缶ビール2本飲みながら、3杯いただいてしまった。体を使ったあとで、雑炊は暖かく、とてもヘルシーでいい。

 長野市から広島へは「しなの」と新幹線乗り継ぎ約5時間半(広島駅まで)、坂町はここより20分に一本くらいの呉線に乗り換えておよそ15分。そこから会場の中国電力スポーツ施設へは徒歩7分ほど。広島泊まりでも、フルのスタートが10時半なので、朝もゆっくりできる。またコースは平だし、多少風の影響が出るくらいで走りやすい。飽きるかと思われた周回もやはり、海のない長野県人はむしろ都合14回景色を楽むことができ、私の場合、晴れた最後の周回では、一時停止のデジカメの撮影を繰り返したほどだった。
男50歳〜 5/127 西川 昭 広島壮年走ろう会 3:09:33 総合48/452
男50歳〜20/127 三田 茂延 長野マラソンクラブ 3:26:43 総合111/452


 ロサ・モタさんを呼んでこの大会をきっかけを作ったフル百楽走会会員の地元・坂町奥村富士夫さん(昨年3時間6分3秒)は、今年は大会運営に回っていて、総務係兼任で大会副委員長を務めておられた。「フル百」ではこれもタイムが速い方に属する。
 その奥村さんも担当していた慶州マラソンに招待等の抽選会、町長や町議会長からも提供品があり、残った人に福がある形で、西川さんと話しながら最後までいてみたが、私の方はいつも通り抽選洩れ。これも3時半には終わったので、名古屋午後7時の最終の「しなの」の接続にも間に合った。帰り際、奥村さんに「やっと来ることが出来ました」と挨拶、握手、記念撮影をして会場を後にした。
 なお、大会はチャンピオンチップを採用、ゴール後直ぐに完走記録がプリントされる。周回毎のラップもとっているので、イエローチップ所持者には追ってラップも出されるのではないか。とすると、これは周回コースの利点になる。(24日記・三田)
  上は写真を加えて、広島ベイマラソン大会報告ページとして増補独立ヘ→more

クラブメンバーの皆様へ

 忘年会の出欠連絡葉書の投函を早めにお願いします。

 メール連絡いただいた宮本吉さん、轟さん、武捨さんを除き、19日に往復はがきを出してあります。確認ください。そして、早めの投函で、幹事さん心配かけないようにしましょう。
 なお、期日まで事務局と担当幹事(丸山さん)間で3度くらい連絡をとり、そのときの現在着分を「2001年NMC今後の予定」ページに入れていきます。

12月2日の練習会・長野マラソン部分試走会30`の詳細は、「2001NMC今後の予定」ページで。


2001/11/21-24

県縦断駅伝でNMCメンバー
宮本恭志さんが走る! 

11月17日、応援にも熱、

 晩秋の信濃路を北から南へ一本の襷でつなぐ「第50回長野県縦断駅伝競走」に、NMCから飯山下水内チームの一員として初出場を果たした宮本恭志(飯山市)さんの応援に、塩沢さん・山本君・轟の3名で行ってまいりました。
 
 宮本さんの第5区は、上田市役所〜丸子町文化会館の13qと1日目では3番目の長丁場で、各チームとも準エース級を投入する重責を担った区間です。
 上田市役所に到着した我々は直ぐに宮本さんを見つけ出しますが、駅伝独特の雰囲気の中、緊張の面持ちでランナーを待ちます。先行するチームが襷を渡す中、いよいよナンバーカードがコールされ、前区間の女性走者から襷を受け、我々の「頑張れ!」の声援の中一路アップダウンの厳しいコースへ走り出していきました。中継所の何とあわただしいこと。
 
 駅伝コースは、車の渋滞がひどいため我々はナビゲーションを駆使して丸子町に先回りしましたが、予想以上にランナーが速くてギリギリで6区の中継点に到着して、宮本さんを迎えることができました。郷土の期待を背に走りぬいた宮本さんは、極度の緊張感から解き放たれ次の「福知山マラソン」への抱負を口にしていました。
 
 同行した山本君(左)も、来年は「中野下高井」チームの代表入りを目指しているだけに、今日の宮本さんの走りを目の当たりにして、よい経験になったようです。
 
 クラブの中からもこうした大舞台を経験する方が増えるのはとても喜ばしいことですので、当然来年も応援に行くつもりです。(17日記・轟哲郎)
 宮本さんについては走暦パートVの中にその紹介があります。

続報!!・渡良瀬遊水地フルマラソン

 木下幸一さんサブフォー達成なる

 11月11日、埼玉県等の渡良瀬遊水地で行われた渡良瀬遊水地マラソンに出ていたNMCのもう一人のメンバー木下幸一さん(坂城町)より、このほど連絡があり、目標のサブフォーを達成していた。
木下…快晴、無風マラソン日和、今年一番の天気でした。三田・石川両氏のアドバイスをいただき、サブ4狙いをしました。アミノバイタルを30分前に飲み9:30スタート。10q54分ぐらいで入り、20qでアミノバイタル1袋とゼリーを半分飲み、ペースを落とさず、30qで残りのゼリーを半分飲み、まだいけそうだったのでラスト2qを全力で走りました。結果として前年度より40分早い3時間45分でゴールできました。やっと念願の「ランナー」の仲間入りが出来ました。それから大貫さんを捜しましたけど、見つけられませんでした。

種 目 氏 名 タイム 種目別順位 総合順位
フル男子40〜49歳 木下 幸一 3:45:53 154/526 男子427/1704
フル男子30〜39歳 大貫 博 4:37:11 304/440 男総1147/1704

(事務局:メンバーを捜してくださりありがとうございます。参加者が多いですから無理だっかな。その大貫さんのフル初完走は渡良瀬第1報でお伝えしました。現在「トップページの変遷6」の中に保存されています。また木下さんの練習会での写真はNMC報告編「OH!LA!HOへの地ビールマラニック」の中に、大会での写真は「アディダス苗場スーパーマラソン」の中にあります。参照ください)


ランナーズ走り込み大会

 NMCチームは全国438チーム中の7位に

 10月の1ヵ月間にわたって行われたランナーズ第18回走り込み大会の結果が、16日にランナーズのホームページ、「ランネット」で公表された。2362kmのNMCチームはネット段階(約200チーム)では3位だったが最終の葉書報告分が加わり、438チーム中の第7位に踏みとどまった。ネット段階で競っていた「あわび走友会」は渡辺優子さん(ランナーズ2002年1月号82ページの方かな?)の個人総合トップ1501kmもあり、2528kmで第4位だった。ユウユウさんはじめ、「あわび走友会」チームの健闘を称えたい。励みになりました。
 「ランナーズ走り込み大会NMCチームは今」ページの11月7日のところで、NMCチームの最終記録をまとめてあるが、ラン・スイム・自転車の3区分別の詳細及び純粋ランのみで523qを走っていただいた塩沢一郎さんの報告を含め、近く最終更新を行う予定です。(三田)


前回トップ柏崎ロードレース&鬼無里ランランカーニバルは、「トップページの変遷」に移してあります。そこの最新版をご覧下さい。大会報告が寄せられるとトップページは週一でなく、どんどん更新していきます。お楽しみに!!!(クラブ事務局)
12月2日の練習会・長野マラソン部分試走会30`の詳細は、「2001NMC今後の予定」ページで。


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