Santax & 長野マラソンクラブ のトップページで取り上げた話題20


2003年1/20、1/30、2/13の3回分を新しい順に


直前2003/2/13-2/26

三石さん初めてハーフ以上を走り、完走に夢をふくらます

 長野マラソンクラブ(NMC)の第5回長野マラソン対策3本柱(本ページに別記)のひとつ、初マラソンのあなたを応援する「希望日試走会」、その第1回はメンバーの三石さんの希望した2月9日に実施となった。この日はフル65回完走のNMC事務局の三田と、フル50回完走でクラブのウルトラNo.1ランナーの石川がサポート&ガードランナーをつとめた。
 小布施橋の豊野側は、あの給水ポイントのあるところ。ツールド・フランスの山岳コースのポイント箇所のように応援の方々が両脇からせり出して道を狭めて、ランナーと触れ合いそうなあの熱い場所だ。長野マラソンの最も感激するポイントをスタート地点として試走会は始まる。
 スタートしてすぐ16km地点を通過する。このあたりまでは本番では流れできてしう。ここからゴールまで26.195kmある。この長い先を試走会では何回か走ることで、ゴールをイメージしていく。これが出来るのは地の利。だからフルを完走したいという長野県のランナー、ジョガーには1人でも多く完走してもらいたい。そんな思いで「希望日試走会」設定している。
 エムウエーブ手前で小布施橋から9km(本番25km)となる。安全を確保するため堤防道路以外は歩道を走る。エムウエーブへの入りもここは交差点をわたることで少々のショートカット、しかししっかりと本番とおなじく建物を周回し、五輪大橋へ向かう。五輪大橋を下ったところで小布施橋から14km(本番30km)となる。本番ではこの辺から苦くなるポイント部分。そんなことを話しながら走る。1月の谷川真理ハーフを2時間8分43秒で走っている三石さんも問題なく走るが、大塚の折り返しを過ぎてから、時折、停止し、ストレッチを入れ始める。本番で多く見られる風景だが、これはする必要がある。折り返しからこの日は初めての向かい風となる。気温8度の予報で、手袋ははめたり取ったりだった。上の写真がこの日19km地点付近(本番35km)、その前を通ってきたホワイトリングを右手にしての堤防道路。左の写真がこの日のハーフ地点(本番のあと5km地点)。これを過ぎてスタジアムも見えるがまだ遠い。堤防に収容バスの並ぶ松代大橋をくぐった後の38km地点の堤防も説明。そして本番ではわずかな上りがかなりきつく感じる松代大橋入り。橋の中央あたりでぐんとスタジアムは近づくが、橋を渡り一路スタジアムへ向かう直線路が同コースを初めて走ると、見えていてなかなかたどりつかない。ここも試走会を走ることで地の利が出る。何回か走っておくと、正しい距離感覚になってくる。
 三石さんにはしっかりとゴール寸前のスタジアムのゲートを見てもらった。ハーフの距離を過ぎて一時停止のストレッチが多くなったが、6分半近辺のスピードは衰えずで、まだ2ヵ月もある長野での初完走に夢をふくらませた。
 三石さんは掲示板に「三田さんと石川さんのガードでなんとか走れましたが、ヘトヘトのヨレヨレでした。おつきあいしていただいて本当にありがとうございました。フルはまだプラス15キロかと思うと気が遠くなります。でもいろいろお話ししながらた楽しく走る事が出来て感謝です。走ったあと、三田さんと石川さんは生ビールで私はソフトクリームでの乾杯は最高でした。三田さんの飲みっぷりのよさはすばらしい。帰りは居眠りしちゃいました。貴重な1日ありがとうございました。」と書いている。
 石川
評は「三石さんにとってハーフ以上の距離は初めてだったようですが、休憩を含めてちょうど3時間、ランは6分半/kmのイーブンペースで野球場のゲート前まで走りました。初マラソンに向けて準備が一歩進んだといったところでしょうか。」とある。
 本来スタジアムからJR篠ノ井駅まで走り、入りの豊野駅−小布施橋間も含めるとちょうど30kmとなるのだが、篠ノ井駅に行く途中の中華料理屋でちょっと遅いお昼としたため28km走といったあたり。2人のサポート&ガードランナーはその後も長野前の駅前食堂でまたまたビールで「初マラソンの頃の感動をもう一度味わいたいね」と話が盛りあがっていた。

第2回は初回メンバー5名に山崎、三野、高野が加わる。高野さんは中途からでスタート前の集合写真には入っていない。−長野運動公園にて−

第2回は参加者8名に
 2月8日、今回は好天に恵まれ、しかもコースのコンディションも前回よりも格段に良かったです。そんな中(高木、石川、羽田、梨本、三野、山崎、轟)の7名が最初から、途中から新会員の高野さんが参加。総勢8名で走りました。(轟)
 それぞれの走りは掲示板を参照下さい。 

第5回長野対策の3本柱揃う

クラブ主催試走会、自主練習会「サブスリー道場」、「希望日試走会」

 長野マラソンクラブでは、長野マラソンコースの16km地点少し手前の小布施橋(豊野側)からゴールのオリンピックスタジアムまでの約26kmのクラブ主催の月1度の「試走会」、上で紹介の上級者向け「サブスリー道場2003」、さらに初マラソン完走を目指す人応援の「希望日試走会」の3本立ての対策で第5回長野マラソンに臨む。各スケジュールは「NMC今後の予定」ページで。
 あわせて、昨年3月掲示板に登場、その後トップページでも取り上げた次を参照「長野マラソンコース攻略法(コースをどう走る)…梨本」」と「長野マラソン攻略法・ヒント…轟」
 

紀州口熊野マラソンを走った:三田報告

 2月2日の紀州口熊野(キシュウクチクマノ)マラソンに行ってきた。近畿は01年大阪での吹田中の島ランナーズの5時間走に行ったきりで、フルは同年の甲子園マラソン(1回限り)と淀川市民マラソンをエントリーするも行ってないので、私にとってフルマラソンの空白エリアとなっていた。初めての近畿圏でのフルマラソンだった。和歌山県上富田町が舞台だ。南紀白浜に近いところで、空路、南紀白浜空港におり初めて和歌山県の土を踏んだ。JTB神戸の団体部門が担当したランナーズの「にっぽん走遊」を利用し、標準コースに延泊のオプションをつけた。
 大会前日の空港からホテルへの移動のバスで一緒になった昨年出た方から「川沿いを走るので風がある」と教えてもらったので、用意していった4着のロングスリーブの中でも防風機能のあるものを選んだ。下はいつものCWX。天候は曇りのスタートから1時間もしないうちに晴れとなり、ここは曇り予測の帽子なしで選択を誤った。本当に風が強かった。
ゴール直後この時は半をきれた29分59秒と思っていた。
熊野古道を走るのだが、上富田の街中の狭い道が面白かったが、広い国道に出てからは少々単調だった。コースは川を上流までさかのぼり確か23kmあたりで折り返し、往きとは違う川岸の古い道を走る部分があり、ここは何かいびがわマラソンに似て川を眺めながらの良いコースだった。そして対岸にコースを変え出発点に向かう。中間点で1時間45分23秒。高低差は100m弱、後半はデジカメ撮影もやめ一気に走り抜けようとしたのだったが、往路の向かい風から期待した追い風が吹かず、またしても向かい風で、頑張りどころを風に抑えられた感じだった。それでも3時間半ぎりぎりの線まで上げて、ゴール直前の電光時計の見えるところで、3:29:45。ギアを切り替え一気にゴールに入ったのが58あたり、うまいこと59が出ていればと、記録をもらいに行くとなんとピタリの3:30:00。ラストのスピードが足りなかった。駆け込みストップでなく駆け抜けるべきだったと反省。こんなところでスピード練習の必要を実感するなんて、なんとも無念だった。フルの部は757名(出走?)のエントリーがあり、完走は577名だった。
 宿では風があると教えてくださった宮古100キロを走ってこられてさらに4月末までに9週連続でフルを走られる東京の方や同じ延泊だった栃木・大田原近郊のからのグループの方とお話が出来て楽しかった。長野マラソンにも来られた大田原の方々には、クラブメンバーが大田原マラソンで好成績を出してきたことなどを話し、「クラブメンバーと共にの大田原行き」を約束してきた。お1人は審判員をしていて他の方は沿道で応援してくださるとのことだ。 

掲示板からテーマ別再録 雪道2002年1月」、「けいれん、痙攣、ケイレン」  


2003/1/30-2/13

第1回は、まず7名が雪の路面で小手調べ

 第5回長野マラソンのエントリーが28日に締め切られたが、会員54名の長野マラソンクラブ(NMC)から40名を超すメンバーがエントリーした模様だ。NMCでは今年もサブスリーから初完走まで、例年通り大会を10ポイント上回る完走率を目指すが、その長野マラソン関係の新しい練習会がひとつスタートした。
 NMCの自主的な練習グループ・サブトラ班が企画した自主的練習会「NMCサブスリー道場2003」は1月26日、歩道に雪がしっかりと残る長野運動公園の外周路を使い行われた。いわば道場開きには、この企画主宰のクラブ駅伝部長でサブトラ班の班長・轟はじめ塩沢、宮本、梨本の4名の現役サブスリー、今年の長野マラソンで初のサブスリーを狙う石川、羽田、そして往年のサブスリー高木が参加した。
 サブトラ班は長野運動公園サブトラックで夕刻よりトレーニングをしているNMCの仲間が掲示板書き込みなどで練習日を設定したりでやってきた。もちろんサブスリーめざしばかりの集まりでない。しかし、40名超エントリーのうち11名がサブスリー照準の走りをする見通しの中で、サブスリーを可能とする練習会の設定機運が盛り上がった。昨年数回行われた運動公園外周練習をステップに、名前も「サブスリー道場」となった訳だ。11名のうち現役サブスリーは7名(前述のほか丸山、高野、松崎)、初を目指す挑戦組は石川、山本、小林、羽田の4名と見られる。本来ならここに野池もきて5名となるところだが初の宮古島トライアスロンと重なり、今回はお預けとなっている。サブスリー照準の方のみでなく、3時半内照準のランナーにもスピード練習にはちょうどいい。それにしても雪が消えないと…。「NMC今後の予定」ページや掲示板でこの自主的練習会の日程が予告される。(NMC事務局・三田記)
 
先頭の梨本、続く羽田、宮本、塩沢。画像にマウスを 左手は長野オリンピックの時のホッケー会場のひとつアクアウイング(現在プール)だ。
参加者からその様子と事後
 最初は1周7'20くらい 梨本 前日が年会で高木さんに「顔がむくんでいる」と指摘されたような二日酔いでした。道幅が狭いので1人ずつスタートすることに。みんなに「抜いちゃダメですよ」と釘をさして最初に走り出しました。石川さんとお話しながら最初は1周7'20くらいで入ったのですが、後続がビタッとついて離れません。メイントラックの周囲は機械で除雪中だったため、走りやすくなっていきペースが少しずつ上がりました。6'50を少し切る程度で5周を終えると、酒も抜けてきて楽になってきました。天候は快晴で、日向の雪がどんどん溶けるため、シャーベット状になる区間と、表面に水が浮く部分とがあって走るのに神経を使います。10km(6周+1km)は45'20"くらいでした。雪がないのは、テニスコートの裏の100mほどだけなのですが、ここに来ると羽田さんが並びかけてきます。譲らずにサブトラックの周りまで来ると、ここは除雪しておらず、幅50cmくらいに踏み固めただけであり、追い抜くことができないためペースを落として休むことができます。この繰り返しで9周まで来ると、サンタさんが自転車で登場。撮影をしてくれました。最後の1周では一同ペースアップしたのですが、運動公園入り口のカーブで梨本が滑って転倒しそうになり、おっかなくなってまた自重。テニスコートの裏で宮本さん、次いで羽田さんが猛ダッシュ。これにはついて行けず塩沢さんと一緒にゴール。最後の1周は6'33でした。雪のない時より1周で1分くらい遅いペースでしたが、それなりに追い込み、集団も崩れずに楽しく走れました。悪路だったのですが、誰もケガしなかったのが何よりです。轟さん、素晴らしい企画をありがとうございました。また次回もよろしくお願いします。 
 きつかった
  第1回「NMCサブスリー道場2003」に参加の皆さん、悪コンディションの中最後までお疲れ様でした。私にとっては約1ヶ月ぶりの10k以上のランでありまして、5周までが限界でした。ましてや左足中足骨の炎症上がりで、正直あの路面を10周走りぬけることが出来るのか心配でしたが、「仲間と走る」という気持ちだけで最後まで走れました。皆さんありがとうございました。途中のテニスコート裏でペースアップに追いつけなかったのが、一番きつかったです。次回はもう少し走れるように回復しておきます。(右の写真)
 早い段階での脱落 石川 おつかれさまでした。雪道ランは足腰に大きな負担がかかります。今日はモモの外側が痛いです。轟さんの故障や宮本さんの転倒は大丈夫でしょうか?私は相変わらず早い段階での脱落。そりゃあ完走目標だけなら50周でも100周でもできるんでしょうけどそれではこの道場の意味が無い。前回は3周、今回は5周だったので、次回は8周ぐらいまで粘れるようがんばってみます.またよろしくお願いします。それにしても羽田さん強い。もうライバルというには失礼なぐらいの差がついてしまいました。
 気合いだけで 羽田 お疲れ様でした。悪路の中、気合いだけで10周走り切りました。梨本さんに離されないようにと、2番手を守る事でいっぱいでした。これからも、サブトラ道場で皆さんについて行ける様、頑張りますので、よろしくお願いします。
 あまりにくたびれて 高木 皆さんお疲れさまでした。あまりにくたびれてしまい、昨日はサブ3道場のことを思い出す気力にかけていました。現在キロ4:15が精一杯の高木としては1.55kmは雪がなくても6:30位でしょう。当然2週目で脱落しましたが、せめて雪のない区間(400mっくらい)では離されないと言うことを目標に走っていました。でもその直後の幅50cm区間になると一気に離されてしまうのです。これってどういうことなの?と考えながら走っていました。多分私は臆病なのですね。怪我が怖くてああいう場所では極端に遅くなるようです。まあそのおかげで35年間急性の怪我は去年の自転車骨折だけなのでしょう。でもすごく良い練習になりました。ありがとうございました。雪がなくなるとさらに差は開くと思いますが、ああいう練習は大好きなので付いていきます。よろしく。
 以上掲示板書き込みから(抜粋の形)

第5回長野対策の3本柱揃う

クラブ主催試走会、自主練習会「サブスリー道場」、「希望日試走会」

 長野マラソンクラブでは、長野マラソンコースの16km地点少し手前の小布施橋(豊野側)からゴールのオリンピックスタジアムまでの約26kmのクラブ主催の月1度の「試走会」、上で紹介の上級者向け「サブスリー道場2003」、さらに初マラソン完走を目指す人応援の「希望日試走会」の3本立ての対策で第5回長野マラソンに臨む。各スケジュールは「NMC今後の予定」ページで。
 あわせて、昨年3月掲示板に登場、その後トップページでも取り上げた次を参照「長野マラソンコース攻略法(コースをどう走る)…梨本」」と「長野マラソン攻略法・ヒント…轟」
 

掲示板からテーマ別再録 雪道2002年1月」、「けいれん、痙攣、ケイレン」  


Santax & 長野マラソンクラブ 2003年1月20日〜1月30日のトップページ

第1回試走会に15名が参加、雪のない路面で存分の走り

 長野マラソンクラブ(NMC)では今期も「長野マラソン」に向けた試走会を開始した。
 試走会は昨年12月に一度予定していたが、前夜の雪のため中止となっていて、今回1月19日が実質的な第1回目。今年は雪が多く、欲求不満気味なランナーが多い。試走会は思う存分走る絶好の機会となった。小布施橋の豊野側、長野マラソン本番の16km地点少し手前に集合したのは、主催者のNMCメンバー11名、そして一部メンバーが重複し一緒に練習をすることもあるチームイージー長野から3名、信州大学の学生さん、新潟中郷からHPを見て参加のランナーのあわせて15名。その場所は本番では小布施橋を渡ったランナーがツール・ド・フランスの山岳コースのポイント地点のように沿道の応援者と触れ合いそうになるあの走路が狭くなるところだ。試走会コースはそこを出発、本番コースを歩道のあるところは歩道を走ることで安全を確保してゴールのオリンピックスタジアムのある南長野運動公園までいく約26km。集合場所及びゴール地点と最寄り駅までのアクセス路も走るとちょうど30kmになる。写真はその試走会のスタート直後、長野マラソン本番16km地点近辺だ。後ろの橋は小布施橋。
 もっか「掲示板」でこの日の感想、走りの報告が書き込まれているので、あわせてチェックしていただきたい。
 また、「NMC今後の予定」ページでは次回2月16日の第2回試走会の要項がアップされている。 


九州の市民フルマラソン踏破にあと3大会

熊本・本渡市で12日開催の天草マラソンを走った

天草下島、中田湾あたりか、女性ランナーを入れて撮影。ゼッケンから地元本渡市の方のようだ。
 長野県のフルマラソン完走回数第1位、200回超の須坂の押木正暢さん(フル百回楽走会・NMC)を追いかけて、同じ「フル百回楽走会」に入り、63回のフルマラソン完走を達成しているNMC事務局・三田は、昨年の青島太平洋マラソンに続いての九州シリーズで、熊本県本渡市で開催の天草マラソンを走ってきた。
 天候は晴れだったが、当日帰る人を考慮してフルの部は朝8時半スタートとなっていて、晴れた分この時間帯はまだ寒く、筋肉が萎縮ぎみで、いつものようにアップ無しで走った私には前半少々きつかった。
 フルのエントリーは433名、遠くは北海道が2名、東北はなしで、関東圏からは参加があった。長野からは私ひとり。同日は指宿菜の花マラソンが1万人規模で開催されていて、また地元熊本の新聞も同社主催の駅伝大会に手をとられたか、翌日の報道は一切なかった。
 
フル64回目完走のゴール直後、いつものCWXロンタイツに上は太陽光を吸収しようと、紺地のロングスリーブだった。
 コースは本渡市陸上競技場トラックのスタート・ゴールでハーフを走り折り返す、ほぼ完全な折り返しコース。街中を抜けあとは湾内といえる海沿いを走る。その途中に高低差30mと50mの二つ(折り返しなので計4となる)のいわば丘越えで6kmほど海を離れるが、そこをのぞいてロケーションはいい。丘越えはあるといってもそれが低いのでコースはほぼ平坦路といっていい。
 冷えによる筋肉の萎縮で多少の左膝のはりがでていたが、10時頃には暖かくなり、折り返しからは手袋なしでもよいくらいだった。
 ハーフ地点で1時間42分少々だったので、3・23の誕生日タイムのチャンスがあったが、後半もほぼ同タイムで走り自己計測で3時間24分40秒だった。
 天草へはJASの松本―福岡便、かわいらしい36人乗りプロペラ機の天草エアラインの福岡―天草便を利用した。
天草かまぼこ「天領」を買って帰る。そのお店、松下かまぼこ店の松下ご夫妻。
 このJAS便の機内で同便がプロペラ化するとの信濃毎日新聞記事を読み、せっかく九州のフルマラソン参加に松本発便を利用し出したところなので、残念に思った。記事にあった田中知事や有賀松本市長の憤りはもっともである。不採算便はどんどんなくなり、かって小さなプロペラ機で松山に飛び走った愛媛マラソン、道後温泉泊の旅も数年前の便廃止でもう同じ経路では行けない。
 さて、天草のマラソン、参加賞はバスタオル、そしてトン汁のサービス券のほか、100円チケットが7枚だったかついていて、競技場内テントでやっている汁物や揚げ物、また特産品も購入できた。残念ながらビールの販売はなく、早くそれが飲みたくて、一通り見て、中学生にチケットやってそこを後にしてしまったが、「天領」(かまぼこ)で有名な「松下かまぼこ店」のご主人さんがごぼ天やたこ天を揚げていたということだ。知っていれば、それをチケットで購入、ビールにちょうどよかったものを。それを知ったの大会翌日の帰り際、土産を買いに同店に入ってご主人とお話しをしてからだ。善光寺には松下ご夫妻、冬季五輪のときを含め2度来ていらっしゃる。お酒は須坂の遠藤酒造からいまでも宅配で購入しているとう。次回、また行く機会があれば、是非、大会会場でゴール後、揚げたてのごぼ天等でビールといきたい。
三田の市民フルマラソン記録から九州シリーズ分
回数 開催日 大会名 タイム
9 1992.02.09 第1回ヨロンマラソン      鹿児鳥01 3:27:12
11 1993.01.10 第12回指宿菜の花マラソン 鹿児島02 3:23:38
21 1996.02.04 第10回出水ツルマラソン     鹿児島03 3:22:24
24 1997.02.04 第11回出水ツルマラソン     鹿児島04 3:25:10
27 1998.02.01 第13回出水ツルマラソン     鹿児島05 3:19:58
31 1999.01.24 第13回八重山マラソン    沖縄01 3:36:11
39 1999.11.07 第8回鱒渕マラソン 福岡01 3:25:45
41 1999.12.05 NAHAマラソン 沖縄02 3:20:13
48 2000.12.03 NAHAマラソン 沖縄03 3:27:57
49 2001.01.28 第15回八重山マラソン 沖縄04 3:25:35
63 2002.12.15 第16回国際青島太平洋マラソン 宮崎01 3:28:20
64 2003.1.12 第34回天草マラソン 熊本01 3:24:40

 なお、九州の市民フルマラソンの完走状況は右表の通りで、これで手作り大会を除いて、あと沖縄県沖縄市の「おきなわマラソン」(2月)、大分県竹田市の「岡の里名水マラソン」(3月)、鹿児島県南種子島町の「たねがしまロケットマラソン」(3月)の3つを残すだけとなっている。踏破すれば、押木さんも九州は漏れが多いから多分、長野県では私が初めてとなる。なお日本最南端のフルマラソン、石垣島で開催の「八重山マラソン」は、本年より地元新聞社主催から石垣市主催に切りかわって名称も「石垣島マラソン」となった。その大会は1月26日にある。一応主催者がかわっての第1回となるのでフル百回楽走会の方々の参加が多くなるのではないか。(三田茂延、マイダイアリー1月に別稿あり)
 
※右表の天草マラソンのタイムは正式な記録が未着で、自己計測のもの。