Santax & 長野マラソンクラブ 2003/11/17-12/10のトップページ
久米島で初のフルマラソン大会(沖縄県では5番目)
新た設けられたフルの部、その折り返し点に向かう 久米島空港から先が海岸線を走るコースとなる。中間点を過ぎさらに行くと、24.5kmあたりとなる折り返し点、上で1.5kmくらい先に見える岩が下の写真のところだ。名所の一つになっているミ-フガーだ。ミ-フガーについては本文参照。
南の大会が好きで、これまで九州は指宿、出水、天草、ヨロン、NAHA、八重山(現在石垣島と名称変更)の各マラソン大会に出かけてきた。中でも島のマラソンは、島をあげてという印象があり、それが小さい島だとよりそれが伝わった。そんな一つが第1回に出かけた与論島のヨロンだった。
今回、久米島では初めてのフル
今回やはり小さな島、那覇空港から25分ほどの久米島で、これまで14年間続いた島一周23kmのマラソンをリニュアル、フルとハーフを設け(他に10kmと5km)、なんと制限時間7時間のFUNRUNを強く打ち出した大会が開催された。そしてマスターズ方式の5歳刻みの96部門288名に入賞のチャンスがあるともPRされていた。沖縄県ではNAHA、沖縄、石垣(旧八重山)、ムーンライト、に続く5番目のフルの大会の誕生だった。
フルの部が出来るというニュースを聞いてすぐにランネットでエントリーした。全部門のエントリー者でみると1387名、内377名が県外からの参加となっていた。もちろん長野県からは私(ゼッケン207)一人だ。フルの部門411名のうち、ざっと見ると半数以上が県外だったようだ。一応部門新設とはいえ、フルは第1回なのでフル百回楽走会からよく一緒になる千田さん(愛知)、西川さん(広島)など10名ほど来ていたようだ。フル百メンバーだがバラの会といえば知る人も多い島村(東京・ゼッケン291)さんとも初めてお話ができた。下の写真はゴール後の島村さんと私。
朝早い7時30分スタート
スタートが朝7時半というのは1週間前まで知らなかった。週間天気予報で見ていても気温が25〜27℃あたりまで上がるので、スタートが早いのだろう、丁度暑くなる頃にゴールかなと思った。しかし、まさに晴れだったので暑くなった。寒い長野から1枚ずつ脱ぎながら来たものにとっては、まさに暑い夏の大会と言う感じで、8月末日の北海道マラソンの続きをしているようだった。
給水、そして頭からの水掛は絶やさなかった。河口湖に2度エントリーして未だに行ってないように寒い大会は苦手な方で、だから沖縄の大会に好んで来るのだ。島なので多少の起伏はあるがほとんど平らと言っていい走りやすいコースだった。沖縄タイムスの取材に応えて「フル72回目の完走となった。久米島のコースは起伏が少なく全体に走りやすかった。海の見えるコースもあり最高ですね。後半から暑くなってきたが、給水箇所もタイミングよく設置され、沿道の温かい応援にも助けられた」(10/28同紙11面)と話していた。
デジカメはウエストポーチに入れ主に前半と折り返し箇所で撮影した。このところ各大会で、中間点のタイムから後半の余裕がなくなり、後半では撮影で足を止めてない。沿道の応援は島ということで、人も少ないのでNAHAマラソンの圧倒さとはこれは比較にならないが、すくない分、温かさが伝わり、また小中学校前の給水ポイントでは学校あげてやっているような感じで思わず足をとめて水を差し出す生徒さんを撮ろうとカメラを取り出したところもあった。沿道に出てくるさとうきび畑は南の島ならでは。そして海、これは海のない県の者からは何より美しく、気持ちよく楽しんで走れた部分だ。
ミーフガーを折り返しての後半
岩石にできた穴で女性の神として知られているミーフガー。子宝に恵まれない女性が拝むとご利益があると伝えられている。そこの前が24.5kmあたりでそこを折り返してくる。それほど前方で走っていたわけでないが、折り返してくる人を数えていると、そんなにいないことに気がついていた。
後半が落ちなければ中間点通過タイムの2倍の3時間26分台が行けるかなと思えた。しかし、30kmからペースが落ちだした。35kmまで25分40秒、37kmあたりで後ろの沿道側から「サンタさん」と女性から声をかけられた。誰か大会パンフレットで名前を見て、応援してくれたのかなと思いながら、振り向く余裕もなかった。この少し前にハーフのトップグループとすれ違いその笑顔がきれいだった招待選手の川上優子さんに、今度は追い抜かれた。そのすぐあと、今度は男性から「サンタさん」「川上さんに追いつかないよ」と声をかけられた。川上さんを同じハーフに出た同室の若い永井浩二さん(2185埼玉)が追いかけていたのだ。
「待ってちょうだいと声をかけなさいよ」と永井さんに言葉を返したが、この2人を追いかけてペースをあげることは出来なかった。
40kmまでの5kmは26分26秒に落ち、3:19:33。これはもう半切りがぎりぎり。ペースをあげなくては半を切れない。もう行くしかない。次の1km5分ジャストに戻し、まだ危ない。次4分32にあげ42km通過は29分09、これで安全圏。しかし1秒切りがいいかなと思った2月の紀州口熊野が30分ジャストで、あの時のことが頭をよぎり、ゴールは止まらず走り抜けた。
3秒余裕があったと思ったが内心心配。しかしすぐ出てきた記録証は電光表示通り3:29:57だった。これをもらった時にクラス2位で表彰式に出るよう告げられた。このタイムで思わぬ幸運だった。これが久米島だ。長野マラソンクラブ(NMC)で前週の大町に出ていた女性陣が仮に来ていたら三石・柳沢のワン、ツウーフィニッシュも可能だったと帰ってから掲示板に書き込んで「島マラソン」へお誘いしている。
左上の写真は陶器の完走メダルとマスターズ方式の表彰でクラス2位で頂いたクリスタルメダル。1位はその左の写真の永井さんのところにかかるオレンジ色、3位はグリーンだった。永井さんにはフルを走るようにお勧めしていて当然「是非、来春の長野マラソンに」とお誘いしている。
ご存じランナーズ編集長・下条由紀子さんと。11年半ぶりのツーショット。手にもつ久米仙の杯の数は拡大写真で確認を。なお、上の写真にマウスをおくと11年半前のヨロンの前夜祭に飛ぶ。
ふれいあいパーティで
ランナーズ編集長の下条由紀子さんもこの大会に出ていて、第1回ヨロン以来その走る姿を見ることが出来た。クラス1位、そして女子の総合でみるとなんと4位だった。「もう少し頑張れば3位だったかな」とおっしゃられていたとか。
大会後の「ふれあいパーティ」では久米仙の水割りが振る舞われていた。そこでは下条さんと11年半ぶりのツーショットを撮らせていただいた。何か今の方が素敵だ。私の久米仙、7杯目かな。このあとまだ飲んでいる。 横に社主の橋本さんがおられたが、あくまでも私とのツーショット。 これは走るライター・夜久さんにシャッターを押してもらった。
そのふれあいパーティで、あの沿道の女性の声の主とお会いできた。実はあれは沿道でなくハーフを走っておられて、私を見つけてとのことだった。2000年のオクトーバーランでネット上でチームで順位を争い同年、そして今年も女性部門ではおそらくトップの渡辺優子さんを通じて長野マラソンクラブと交流が始まった関東と一部関西に飛び地が出来ている「あわび走友会」の旅人、ユリユリさんこと高梨さんだった。2001年の秋田100kmの鷹巣以来で、「え、こんなところで、」と思わず二人して駆け寄り抱き合ってしまった。
「走っていてすれ違った時は、本当にびっくり。まさか…と思い声を掛けておきながら、ゴールした後、参加者名簿で確認してしまいました。三田さんも全国各地、いろいろなところに行かれているのですね。」とユリユリさん。右の踊りの中央(写真クリックで踊り指導の地元の子達との写真に)。
ランナーズの「にっぽん走遊」で
久米島は宿泊施設と飛行機便が限られる。旅行社がツアーをセットするので、これを利用しない単独確保は難しかったようだ。大会HPの案内にもそのように書かれていたのでランナーズの「にっぽん走遊」にすぐに申し込んだ。気楽なので一応シングル希望を出していたが、これは今回は無理だった。
マラソンの発着点となる仲間球場の隣がイーフビーチホテル。ここが宿だった。その221号室、ツインベットとリビング、6畳くらいの畳部分、バス・トイレ、バルコニー付の部屋に集められたのはなんと当初聞いてい4名でなく、6名だった。
人気の夜久弘さん、オクトーバーランのTシャツで多くの方と写真におさまっていました。明走会チームでオクトーバーランに参加中でした。どのくらい走られたかランネットで見に行きましょう。この写真はフル百の千田さんらのお仲間と。左から安助、夜久、後藤、千田の皆様。写真クリックで拡大写真へ。
紀州口熊野、弘前白神、新潟と一緒になっている東京の三橋さんとは同じ 「走遊」を申し込んでいたので一緒になるんじゃないのと新潟あたりの大会で話していた通り、部屋に入るとその三橋さんがいらした。「やあ、いましたね」とあいなった。お一人は翌日どこかへ移られたようで話す機会もなかったのでふれないが、2日間の同室者の中に夜久さんがおられた。ハーフに出た若い方が一人、あとは50〜54、55〜59歳の2部門 に2人ずつだった。なんとその50歳代は4名ともウルトラをやっていた。こうなると、話は合わないはずがなく、2日間楽しく過ごすことができた。特にランナーズ12月号で、弘前白神アップルマラソンの夜久さんのレポートに三橋さんは登場と、書いた人と書かれた人がここでは同じ部屋になり、白神のそのほかのお話も夜久さんから聞くことができた。残念ながら同室者5人一緒の写真がない。
夜久さんは50歳を過ぎて丁度私の今の年52歳でサブスリーを達成しており、その辺の話が聞けたのが、ちょっとサブスリーが遠くなっている私には刺激だった。
久米島の海岸線を歩いている写真がある。大会翌日、神奈川の長井さんのガイドで畳石を見に行くところ、左から長井さん、井さん、夜久さん、三橋さん。(現在その写真クリックで畳石での三橋さんが出ます。)
このページで名前の出てくる方々の久米島の記録 ゼッケン 氏 名 所 属 タイム 部門(マスターズ方式) 総合 2185 永井浩二 1:27:44 1/25 ハーフ男子30〜34歳 7/513 2623 高梨友里 あわび走友会 2:27:09 10/18 ハーフ女子30〜34歳 270/513 207 三田茂延 長野マラソンクラブ 3:29:57 2/46 フル男子50〜54歳 22/342 231 三橋賢司 東京陸協 4:50:31 30/46 192/342 245 長井正規 舞Pace 4:42:19 18/32 フル男子55〜59歳 172/342 267 夜久 弘 明走会 4:01:50 10/32 78/342 280 西川 昭 広島壮年走う会 3:34:39 3/32 フル男子60〜64歳 29/342 291 島村義晴 バラの会 4:08:40 9/32 96/342 308 千田虎峰 フル百回楽走会 4:29:44 8/17 フル男子65〜69歳 145/342 571 安助絹代 あすけファミリ 4:23:02 3/13 フル女子55〜59歳 124/342 572 下条由紀子 明走会 3:54:29 1/13 63/342 589 後藤紀江 5:35:48 3/6 フル女子60〜64歳 279/342
ついでに、この時期、久米島は泳げるのだ。長井さんは畳石で素潜りをされていたが、大会後私は、着替えもせずホテル前の砂浜に出て、Tシャツとハーフタイツを脱いで、海に入ってしまった。実に久しぶりに海水が口に入った。考えてみると沖縄の海の水は初めてだった。−三田茂延 記- ※記録表はランネットでの検索を元にした
フルマラソンでは、11月23日の大田原マラソンに羽田、三田、小宮山の3名が、11月30日の河口湖に飯泉、武捨、徳武(さ)、松崎の4名が、同じ30日のつくばに和田がエントリーしている。ウルトラはシーズンオフ。
いずれも11月下旬まで記載。詳しくは「NMCの今後の予定」ぺージで。
なお、大会報告を是非、掲示板やメールでお知らせ下さい。