Santax & 長野マラソンクラブのトップページの再編増補版
ランナーズ主催で毎年10月の1ヵ月間にわたり行われている「全日本月間走り込み大会」、昨年、長野マラソンクラブ(NMC)は2001年の大会報告のところにあるように、1チームが初めてこれに参加。その大会でネットを通じて励ましあったというより、私達NMCを引っ張ってくださったのがグループの部4位の「あわび走友会」で、中でも同大会個人の部トップで1,501km(換算含む)を走った渡辺優子さん(東京都・30歳)だった。
出会い…
渡辺さんは大会の記録集に「今回は『あわび走友会』から3チームで参加。個人としては8回目となりますが、走友会の仲間のおかげで、頑張れたのだと思います」と書いている。そして記録集のエピソードのところで「途中の集計結果で、私たちあわび走友会(2位)の次につけていた『長野マラソンクラブ』の方が、私たちのホームページを見つけてくださり、掲示板にてお互いの健闘をたたえあうといううれしいハプニング!?がありました」とも。そのエピソードのタイトル通り、それは出会いだった。渡辺さんはまた「HPにみんなが書き込める掲示板はないのですか」と当NMCが掲示板を設けるきっかけを作ってくださった。NMCのHPそしてその掲示版を通じた初めての「走友」と言っていい。
その渡辺さんのプロフィールを紹介したい。
最初の写真は、昨年9月の秋田内陸リゾートカップ100kmウルトラマラソンでのもの。編者が一番気に入ったものだ。
「昔と今」、えっ…
「大学卒業までは運動が大の苦手で身長157cm、体重65kg。それが就職と同時に上司にマラソンを勧められたのがきっかけで、いつのまにか、今のような中毒になってしまったのです。」
現在、身長は1cm伸びて158cm、体重48km、実に17kgのダイエットだ。
ここまで読んで走り始める人が出てくるかもしれない。
その上司の方はやはり走る方だった。
「同じ数学の教師で40歳過ぎの男性で、フルのベストは2時間50分位ですが、今は3時間10分位です。」
中高一貫の私立にて数学の教師をしている。
そして……
「就職2年目の冬のロードレースで大会で、高校女子と一緒に走って1位になったのを認められ(?)、陸上部の顧問となって丸6年になります。1学年150名という小さな学校で、陸上の水準は、短距離の大会に出てもトップが100mゴールしても80mあたりという状態なので、長距離中心の部にしています。」
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中高男女まとめて一人で見ているとのこと。写真はその日出学園(千葉・市川市)の陸上部、昨年の練習日のヒトコマ。渡辺先生がどこにいるかわかりますか? |
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その様子は
「彼等は一生懸命練習します。学校の下校が6時と決まっているので、1時間半くらいし活動時間がないのですが、『ゆっくり長く』走ることを楽しんでいます。10km40分を切る子は3人しかいません。でもフルマラソン完走者が7名もいるというのは自慢です。1分1秒を争うのもいいけど、フルマラソンを夢見て走ることの楽しさを味わいながら練習する部も珍しくて良いと思いませんか?」
今年は春に男子3名、秋に子4人がフルに初挑戦するという。More(その陸上部)
右の写真は上のMoreで新しいページが開かれる日出学園・高校陸上部のところで使用されているそのオリジナル写真だ。昨年の「かすみがうら」マラソン、生徒・岩淵君と走る渡辺先生だ。
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2002年佐倉マラソンでNMCは初めて渡辺さんや「あわび走友会」の方とお会いした |
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その渡辺さんにNMC佐倉マラソン遠征組8名は大会の会場となった岩名陸上競技場でお会いできた。携帯電話で「どこにいますか?」と聞かれ、張り出したNMC旗。岩名陸上競技場のメイン・スタンド横、芝生スタンドに張りだしたNMC旗の周りに集まってもらい撮影。写真は、中央に渡辺さん、その右隣は10月の「あわび」メンバーの一人・八ヶ岳野辺山11時間半と凄い走力のある西澤達也さん、NMCメンバーは左より轟。山本、塩沢。右より野池、このマスクで完走の三田である。あとのメンバーは、着替えやトレイ中だった。
渡辺さんは当日のレースの方は体調を崩して学校からストップがかけられていて出走せず、スタート直前までNMCをサポートいただき、大助かりだった。みんなアミノバイタルにはまりそうだし、優子ファンが確実に増えました。 |
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さてその優子さんの続き★★
平常は月700〜800km
今年に入って31日あった1月で純粋ランだけの走行距離は786km、バイク・ステップマシーンをラン換算した距離が607km、ランナーズ方式で合計、1393km。
「私の走り方は、今や休養のない無謀な練習のために、速く走ることが出きなくなりました。自分の記録のためのレースはせず、生徒や走友会の仲間の伴走が中心です。完走請負人と言ったところでしょうか。」
NMCの「走暦」方式で聞いてみた
「走り始めの年齢…22歳。走る習慣がついた年齢…24歳。初めての大会…東京喜多マラソン10km、1時間08分59秒。トラアスロンの経験はないが、デュアスロンの経験1回あり。」
ベストタイムは左下の表の通り。
「今後の目標…陸上部から一人でも多くのフルマラソン完走者を出すこと。走ることの楽しさを伝え続けていきたい.。私のモットー及び生徒に望むことは『ゆっくり長く故障なく』です。」
5km |
21分50秒 |
1999年臼井梨マラソン |
10km |
43分15秒 |
1999年臼井梨マラソン |
ハーフ |
1時間32分51秒 |
1999年手賀沼マラソン |
フル |
3時間32分39秒 |
1999年彩の国さいたまマラソン |
100km |
11時間18分55秒 |
2000年秋田内陸リゾートカップ100キロ |
ウルトラが好きそう
驚くことに、あの1回限りの大会で完走率29.9%と30%を割り込んだ過酷な「しまなみ海道スーパーマラソン」(1999/9/20)でウルトラ・デビューを果たしている。この時102kmで13時間22分50秒。その様子はあわび走友会の西澤さんが書いている。「走る気力もピークにさしかかった時、後ろから3人の男性ランナーを引き連れた女性ランナーが途中のエイドに飛びこんで来ました。開口一番『あー気持ちが悪い』と言いつつも、とても元気そうで余裕が感じられました。走る気力を無くしかけていた私は第4関門まで『彼女について行こう』と思い男性3人の後ろからついていくことにしました」。この女性こそ渡辺さんなのだ。
昨年の秋田100キロはベストタイムの2000年時より遅い(11:41:21)が、このことについては
「75キロあたりで膝が爆発して走れなくなってしまったのです。あれで完走出来たのは奇跡に近いと思います。」
そして今年、八ヶ岳野辺山100kmに挑戦する。目標タイムはかなり高く設定している。
あわび走友会とその出会い
「あわび走友会は私と同世代の人が多く、走りに関しても、まだヒヨコの人が半数を占めます。会長の沼田さんは年代別で優勝、入賞します。西澤さんは43歳くらい、秋田、野辺山、えちごくびき野、しまなみ等ウルトラにも多く出てサブ10もやっています。この二人の次の私が来るという感じです。」
走友会入りは、しまなみの後、あわびメンバー・西澤さんが偶然渡辺さんの家の近くを通ったことによる。
「もちろん私の家の住所なんて知りません。しかも当時外をジョギングをすることはほとんど無かった私がたまたまジョギングに出た時の出来事だっ
たのです。私だと確信して車から降りて話しかけた。こうして私はあわびに入れていただくことになりました。」
あわび走友会にはホームページがあるので、詳しくはそちらに。
上の写真は、昨年の富士北麓公園でのランナーズ24時間リレーマラソンでの「あわび走友会」の皆さん。今年、同大会があれば、当NMCも旧来の個人グループ参加でなく、若干補助も出し、NMC名を出してのエントリーを計画中、佐倉に続く、夏の交流も生れそう。
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今年も秋田でお会いしましょう! |
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写真は本ページ最初と同じ昨年の秋田。
渡辺さんは、今年は5月の八ヶ岳野辺山と9月の秋田とウルトラ2本のスケジュールを組んでいる。その秋田には「あわび走友会」から50キロも含め10名ほど出る見込みという。そんなこともあり、結びは「今年も秋田でお会いしましょう」とさせていただいた。 |
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