Santax & 長野マラソンクラブの2002/1/19-23間のトップページより

長野の春にもフル百ピンクウェアが…

  フル百回楽走会の走りはじめ       

2002年1月13日平塚市で独自のフル大会 
 ピンクウエア、又はピンクリボンをつけている「フル百回楽走会」会員は全国のどこのフルマラソン大会に行ってもお目にかかる。かくいう当NMCでも既にフル200回を超している押木さん(須坂)と56回の三田がこのフル百回楽走会のメンバーになっている。

 そのフル百の事務局のある神奈川県平塚市で、1月13日同会主催の第3回平塚早春マラソンが開かれた。もちろん、種目はフルだ(写真上はそのスタート9:03)。
 平塚総合公園の外周を16周+275m走ってフルの距離。実はこうした大会をフルマラソンの回数に認めない赤いリボンのフル百楽走会が別にある。元々一つだったのが、分かれたようだ。フルの距離ならいいではないかというのがピンク側で、独自にフルマラソンのない県に出かけ42.195kmのコースを作ってフル大会もやってしまう。今年はそれが3月9−11日に長崎・佐賀の2県セットである。「こだわり、チャレンジ、ユーモア」にのっとり無理せず楽しくフルを走ることとを通じ、会員親睦はもとよりマラソン愛好者の友好と広がりに寄与することを目的にかかけている。そのとおりの全国の個人が集まる集団だ。

 フル56回の私から見るとやはり100回超の方々は「走りの達人」達で、その会員が主催している大会も多い。ウルトラの萩往還やさくら道にはじまり、フルは隣県の富山マラソンなど全国に点在、また愛知・犬山、兵庫・武庫川、新潟・新潟joy、岩手・北上などの月例フルマラソンもある。今年は本HPでこうした大会を紹介していきたい。
 
 さて、平塚ではエントリー63名のうち、ボランティアにまわった吉野事務局長らが走らなかった以外、来ていた方は全員完走だ。総勢260人程が全国に点在するが実に24%の参加率だ。

 同日はフルの百回単位の達成祝賀会と新年会がセットされていて、上は800回のお馴染み小島義一さん、500回の熊谷利夫さん、200回土谷康夫さん、桜井光雄さん、千田虎峰さん、竹内弥富さん。左写真は100回の左より赤坂敏行さん、村木博さん、藤岡登さん、前列が同じ100回の大亀清彦さん、佐藤純子さん、結城昌子さん、坪田弘美さんだ。ピンクのハッピは百回を達成しないともらえないしろもの。フル百のいわば正装?で、私が手に出来ないものだ。

 大会のコース途中でまた祝賀会で色々な方とお話したが、富山の桜井光雄さんは長野マラソンへは今年もバスを仕立てて来てくださる。毎年決まった善光寺近くの宿坊泊まりとのこと。その御礼にと今年は5月19日に10回記念で開催となる富山マラソンに、NMCから昨年の石川さんに続き、私が行くことに決めた。そんな話も出来た1日だった。
 ほかにもお会した多くの方々が今年も長野へ来てくださることがわかった。こちらも今年はその御礼に出かける先が多くなりそうだ。(三田茂延)

三田茂延のマイダイアリー1月より

第3回平塚早春マラソン(1/13)

 雪のない神奈川県・平塚に行って来た。フル百回楽走会(竹田昭彦会長)の主催する第3回平塚早春フルマラソンだ。
 
 これまで55回フルマラソンを走ってきたが、内、道路使用許可や陸連規定からも自由に自主的に行われていた大会は「2000年信濃路マラソン」だけだった。今回の平塚は平塚総合公園の外周を使用して自主的に行われている大会だ。今年で3回目。参加者名簿では63名のエントリー。
 大会に出るにあたり完走タイムを設定、その通りにゴールすること、また3時間半内設定にこだわりを持ってきた。今回は初めて、決めずに、そう、祝賀会兼新年会の時間が午後4時だったので、3時間半内では時間がありすぎで、5時間走あるいは6時間走のフリーランの部でもいいなというスタンスだった。特にこの正月は雪で走れないストレスがあったから、長く走りたかった。
 結果はトップページにアップするスタートの写真を撮ろうとしていて、パルスグラフのセンサーを付け忘れていることに気付き、写真撮影後、着替え場所につけに戻るなどしていて、はぐれ、2周目の方が来るのを待ってのスタート。この時点で、「時間にこだわらず走る」ことに決めた。
 
 大会では遠方組などの時差スタートが許されていて、正式スタートの9時(正確にはデジカメによると9時3分だった)前に既に2周ほど走っておられた方もある。私はスタート時間にいたのに遅刻・時差スタート組の一人となった。そして周回は写真のボードのピンクの端数の表紙から始まる日めくりカレンダー方式の周回数字の切り取りで各自がチェック、タイムは一応参考に電波時計も置かれていたが、自己申告となっていた。
 コースは1周2.6キロ強の公園外周を16周、それに不足する約200m程の端数を足す設計。雨でも大丈夫との配慮から野球場のゲート下に周回チェックボードとエイドを設けていた。

 走りながらお話しをしたのは、数年前から行きたいと思っている「富山マラソン」を主催する桜井光雄さん(60番)。長野マラソンには第1回からバスを仕立てて団体で来てくださっている。毎年善光寺の宿坊に泊まって、今年も同様とのことだ。続いて一番長く4〜5周ほどご一緒したのは兵庫県で月例ユリカモメ武庫川フルマラソンを主催している佐藤潤さん(141番)。いろんな話をしていて、武庫川に行きたくなってしまった。同大会の前後、つまり連日走りたければ、「スペシャル」大会のオプションもつけてくださるとのことだ。
 
 キロ6分から6分半で走っていたが、気温上昇とともに体も温まり、途中からキロ5分を切るところへ上げて4周ほど久しぶりスピードランを楽しんだ部分もある。4名ほどが同様ペースで走る方がいて、そのスピードでは話こそしないが、それぞれ名前を確認しながら走っていて、このうち大阪の森屋さんと後の新年会でお話が出来た。
なお、私のタイムは4時間11分と申告しておいた。正確には09分かもしれないが、この辺はどちらでもいい。楽しく走れた大会だった。

 私のゼッケン数字はフル百の会員番号で、永久番号。現在この番号は685番まである。退会者などもあるので、実体の会員は270名ほどだ。全国ネットのフルマラソンを主としたクラブでは国内最大の会員数だろう。

 祝賀会では新潟の会員で大会でもよくお会いする大亀清彦さんとテーブルが同じ「立山月例」で、よくお話できた。新潟は大亀さんが5人目の百回達成者。
 
 その大亀さん、佐藤純子さん、藤岡登さん、結城昌子さん、坪田弘美さん、赤坂敏行さん、村木博さんが100回、土谷康夫さん、桜井光雄さん、千田虎峰さん、竹内富弥さんが200回、熊谷利夫さんが500回、そして小島義一さんが800回でこの日のお祝い対象者でのご出席だった。最後の記念写真に映っているこの顔はどこのフルマラソンの大会でも見る、皆さんご存知の顔ですね。(15日記)

 

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