猛暑の萩往還250kmを完踏

293人中145人が完踏,石川41時間55分37秒(自己ベスト,総合19位)で度目の完踏−

NMC掲示板で飯泉・石川へ応援をたくさんいただきました.
こちらに紹介します.本当にありがとうございました.

予告編はこちら


 平成15年5月2日から4日にかけて第15回山口100萩往還マラニックが開催された.目標40時間で臨んでいた石川だったが,記録的猛暑の中を苦戦した.結果は.....

長野発湯田温泉行
 5月1日8時過ぎの特急で名古屋まで行き,そこから新幹線で小郡へ,さらに山口線で湯田温泉までと長い旅路だった.湯田温泉の宿に到着したのは16時ごろ.駅から歩く途中に湯田温泉名物の足湯(左写真)があり,すでに数人が浸かっていた.私もさっそくはだしになり足湯を体験,まさに「明日からたのむよ!」という気持ちで自分の両足を湯に浸した.源泉は66度の熱湯,20分ほど浸かっていたがだんだん全身が汗ばんでくるのがわかる.

湯田温泉の足湯
源泉は66度の熱湯
石川の両足
250kmたのむよ!

説明会会場
 5月2日いよいよ当日.スタートは夜6時なので,宿には特別にお願いして午後1時ごろまで居させてもらった.1時にチェックアウトしてタクシーで瑠璃光寺へ向かう.タクシーの運転手に「今日は瑠璃光寺で何かあるの?」ときかれ,マラニックの話をした.しかしびっくりしたのは「お客さんは学校の先生?」と言われたこと.たしかにベテランぽい運転手ではあったが,どうやら雰囲気でわかるらしい.恐れ入った.
 午後3時から武道場で250kmの部の説明会が始まる.実行委員長の小野幹夫氏(ランナーズ賞にも輝いたことがある)の挨拶.すでに何度も聞いたことはあるのだが,やはり「小野じゃけんのぉ」の山口弁小野節を聞くと「ああ今年も来ちゃったんだな」という気持ちになるから不思議だ.もう70歳ぐらいのはずだがかつての競技ランナー,日焼けした顔で毎年選手を自ら迎える姿は実にたくましく若々しい.ランナーズの大会100選でこの大会が第一位であることをとても誇りにしていて,毎年「今年も投票をヨロシク」と訴える.それでも参加者が実際に「良かった」と思うから投票しているわけで,決して組織票ではない.つづいて山口県教育長(名前忘れた)氏の挨拶も.ずいぶんエライ方が出てくるんだな.

説明会,いつもの小野節ことしも健在
「萩往還の小野じゃけんのぉ」
山口県の教育長も祝辞を 瑠璃光寺五重塔

いよいよスタート
 説明会は約1時間で終わり,いよいよスタート地点の瑠璃光寺へ移動.青空にくっきり映えた五重塔が美しい.2日後ここへ帰ってくることができるのだろうか.選手の気持ちはみな同じである.荷物の振り分けや装備も済み,いよいよスタートを待つだけとなった.スタートは18:00.今年は参加者が約300名いるので,60人ずつ5グループに分け5分間隔でのスタートとなった.遅い人やコース初参加の人はなるべく前から,コースを知っている人は後ろからという指導があり,私は最終組で18:20スタートとなった.
 17:50,いよいよ第一組スタート10分前で緊張も高まる.とそこへなにやら赤い衣装の女性が10名ほど到着.カセットテープに合わせてフラダンスが始まった.そう,これが萩往還7不思議の一つ「ナゾのハワイアン」である.しかしよく見ると「おばちゃんばっかりだー」.

スタート約1時間前,緊張気味? ナゾのハワイアンフラダンス

 18:00,ついに第一組のスタート.青ジャージの小野さん(下左写真の右手前の背中,ハンドマイクを左手に)から,いつもの「エイエイオー」の掛け声でスタートする.同じ写真最前列右側の黄色ハーフタイツは歴代優勝者の知野見氏,その左はかつてのウルトラの女王鈴木隆子さんだ.そうこうしているうち私のグループの番になった.今年は歴代優勝者や上位者,他にもスパルタスロン入賞者やトランスアメリカ,サハラマラソン完走者などなどつわものが揃っていて,例年になくハイレベルな大会となることが予想された.このへんのほとんどは同じ最終組である.

第一組のスタート,2日18:00ちょうど
「エイエイオー」の掛け声
マウスポインタを写真に重ねてみてね
そして長い旅路へ...
それぞれの想いを込めて
周りからは「いってらっしゃい」の声援
100m地点で,地元の中学生の太鼓が応援

まずはフルを通過
 あまりに長いので,20kmや30kmの写真はパスして,最初の目安となるフルを少々越えた43.9km地点.エイドで温かいレモネードをいただいた.23時20分,スタートして5時間00分だがこれでは少々速すぎる.最終組は実力者ぞろいで,集団のペースが異常に速い.6分15秒/kmで走っていてもどんどん離れていく.私の当初の設定は7分30秒/kmだったが,集団に引きずられオーバーペース気味の走りとなっていた.このあたりはまだ選手の数が多くにぎやかである.「どちらから?」「何回目?」など会話も自然にはじまる
 ここから本格的な山に入る.目指すは57.4kmの豊田湖山本ボート石切亭エイド.ここを午前2時に出発できればよいと考えていたが,実際には0時50分(6時間30分)に到着してしまった.登りに入ってからもペースは落ちない,というか落とせない.いつもならここでうどんを食べるのだがなぜか食欲が湧かないので,水だけもらって午前1時05分(6時間45分)に出発した.

43.9km地点
まずフルを越えた
57.4km地点,豊田湖
うどんを食べるランナーたち

夜明けを迎える
 深夜だというのに気温があまり下がらない.峠を一つ越えて大坊ダムへ向かう.大坊ダムエイド(76km地点?)には名物のファイトバナナがある.バナナにマジックでいろいろなメッセージがかかれているものだ.私も「元気」をひとついただいた.ここからは海岸に向けて一気に坂道を降りていく.油谷湾へ出てしばらくいくと86.2km海湧食堂に着いた.現在午前4時45分,スタートして10時間25分が経過している.ここでおかゆを食べ15分の仮眠を取り,午前5時過ぎに出発した.外が徐々に明るくなってくる.夜が明けた.

76km付近大坊ダム
トン汁をいただく
大坊ダム名物ファイトバナナ
元気・ねヴぁーぎヴあっぷ・もう一本
などの文字が見える
86.2km海湧食堂
玄関前のタヌキと

 海湧食堂を出て俵島折り返しCPを目指す.約11kmの行程だ.久津漁港を過ぎて俵島に入るとアップダウンがきつくなる.しかし早朝の静けさの中にたたずむ棚田は美しい.俵島の名物だ.さらにアップダウンを進むと,ようやく折り返しのCP(97.3km地点)がある.といっても係員がいるわけではなく,ただ下写真右のような立札が立っているだけだ.ここにホチキスのようなチェックパンチが結び付けられており,手元のチェックシートにパンチを打つ.このへんはオリエンテーリングのような気分だ.

早朝の棚田が美しい 97.3kmのCP,俵島折り返し

 俵島を折り返して107.2km地点の川尻岬CPを目指す.川尻岬はトランジットになっていて,着替えその他が置けるようになっている.そこまで約10km.すでに朝日が暑い.歩いていても汗がどんどん出てくる.今日も気温が上がりそうな予感.いつのまにか100km地点を越えている.ちなみにこの大会には距離表示などという気の利いたものは無い.100km地点,200km地点にも何も無いのだ.川尻岬到着は午前7時30分,スタート後13時間10分となっていた.ここではうどんかカレーライスが食べられるのだが,カレーなんてとても食べられる状態ではない.うどんを半分だけ食べ,アミノバイタルの詰め替えをして午前7時45分に出発した.

107.2km川尻岬
ついに100kmを越えた
朝8時前なのにもう暑い
川尻岬CPから約2km
おととしはこの牛たちが道路をふさいでいた

中間点までのアップダウン
 川尻岬(標高0m)からはいったん小さい丘を登ってから立石観音(標高0m)のCPへ降り,そこから前半最大の登りである千畳敷(標高300m)への道が待っている.立石観音まで約10km,細かいアップダウンを繰り返しながら到着した.ここで萩往還7不思議の二つ目「名犬ハギー」を探したが見つからなかった.毎年出場している人でも数年に一度しか会えない犬で,なんでも,ある選手がここでハギーに会ってから,翌日萩市内(約200km地点)で同じ犬に出会ったという話.もし本当ならハギーは一日で80km以上の距離を移動したことになるからすごい.
 ハギーには今年も会えなかったがそのままコースを進む.中間点の千畳敷CPは300mの高台の上だ.つまりここから約7kmで300mを登るという強烈な登り坂.時刻は午前10時に近い.気温が高く,コースには日影もなくて本当に苦しい.腰につけた給水ボトルの水もすぐに無くなる.それでもなんとか我慢して登りを歩き,午前10時30分(スタートして16時間10分)無事に千畳敷CPに到着した.しかし俵島と同じでCPとはいいながらエイドステーションなどはない.誰もいないところに立て看板があるだけだ.自分で展望台の自販機でドリンクを調達し,千畳敷からの下りに入った.

岩の上に立石観音堂 117.2km立石CP
当然ここは0m
立石CPからたった2km
でももうこの高さ
さらに数km進んで
左遠方にはさっきの俵島

中だるみしないように
 なにしろ暑くて,足を動かしていても頭はぼーっとしてくる.まだ昼前.まだまだ気温は上がりそうだ.もうどうでもいいという気持ちにもなってくる.ウエストポーチにはパウンドケーキを持っていたが,とてもそんなものを食べられない.とにかく水ばかり飲んで足を進めた.40時間という目標でスタートはしたが,とてもそんな記録どころか,自己ワースト,あるいは完走すら危ないのではないかと,いろいろな想いが頭をよぎった.しかし,そういえば今朝,飯泉さんも東京で260kmという長い道のりに出発しているはずだ.東京もきっと暑いだろう.私がここをがんばらなければどうする.そう思うとやはり足を進めざるを得ない.「記録はともかく完走だけはして帰りたい」,そんな気持ちがとても強くなった.
 千畳敷を下りきると,地元の女子中学生の応援があるエイドに到着する.ここではカップラーメンなどのサービスがあるが,やはり食べられない.しかし私と一緒に走っていたランナーはどんべえをうまそうに食べていた.この人は昨年37時間(総合6位?)で完走している実力者だ.さすが内臓のつくりが違う.このエイドで冷たい麦茶だけをいただき「ごちそうさま,ありがとう」と言って出発しようとしたら,中学生たちが「お名前を教えてください」というから「石川です」と答えた.するとエイドの女子中学生5人が集まって「がんばれがんばれ石川さん,ワー!」と手拍子で大合唱をしてくれた.すっごくうれしい.ここまで応援されちゃったら,カラ元気でも出さないわけにはいかない.午前11時過ぎ,足取りも軽快にエイドを後にした.もちろんそのカラ元気も500mほどしかもたなかったのだが....

124.6km千畳敷CP
ほぼ中間点
立石から7kmで300m登る
千畳敷下り途中の
中国電力の風力発電
長門町の無人私設エイド
138km付近

 ここから黄波戸(キワト)漁港まで約7kmの淡々とした道が続く.相変わらず日陰はない.キワトの漁港の自販機で給水を調達していたらちょうど12時のサイレンがなった.そうか,もう昼か.しかし全く腹は減らない.朝8時にうどんを半分食べてから何も食べずに4時間以上走っているのだが,全く食べたくないのだ.水の飲みすぎで相当バテている.キワトを過ぎるといよいよ長門町.大きな町でコース沿いにはコンビニやスーパー,ファミレス,ホームセンターなどがたくさんある.人通りも多い.ときどき「がんばってください」と声をかけられる.長門市街地を過ぎて,142.3km仙崎CPに到着.現在13時30分,スタートして19時間10分が経過した.ここから青海島へ入り,10km先の鯨墓CPを折り返してまたここまで戻ってこなくてはならない.しかし既に青海島往復を終えたランナーがパラパラとすれ違う.「ああ,この人たちはもう20km以上先を走っているんだな」と考えてしまうと,なんだか絶望的な気持ちになる.しかしそんなことは言っていられない.一歩でも進まなくてはゴールできないことはわかっている.角の駄菓子屋でアイスモナカを一つ食べ,青海島へ向かった.

142.3km青海島入口
この島の先端(鯨墓)まで行って折り返す
炎天下の道路,日陰は無い
152.8km鯨墓CP
毎年の私設エイド
同じ場所で
後は鯨のモニュメント
159km青海島キャンプ場
92年の初挑戦はここでリタイヤ
163.3km青海島出口

思い出の青海島
 何が「思い出」かって,はじめて萩往還250kmに挑戦したのは1992年のこと.当時はまだ100km完走2回,ベストは今より1時間半以上も遅い10時間40分だった私が無謀にも250kmにエントリーしてしまったのだ.当時は今ほど情報もなく,トレーニングのノウハウなども無いため,わけがわからないままスタートを切った.自信などあるはずがない.当然完走は不可能で,青海島の復路のキャンプ場(159km地点)で足が一歩も動かないような状況となり,リタイヤ宣言をしたのだった.今でもここを通過するたびにそのことを思い出す.それから2回250kmをスタートしたが,いずれも青海島からの脱出には成功したものの,完走は果たせなかった.はじめて完走したのは1997年の大会,4度目の挑戦でのことだった.それから2001年に2度目の完走を果たし,現在2003年,3度目の完走を目指して走っている.たしか2001年完走のときは,その足で長野駅に到着したとき三田さんが出迎えてくれて,そこでNMC入りを宣言したのだった.そんなことをずっと考えながら鯨墓CPの折り返しを目指した.
 152.8km地点の鯨墓CPでチェックパンチを打ち,記念撮影をして青海島復路に入る.こんどはこれから鯨墓を目指す選手とすれ違うので,自分が優位に立つ番だ.「がんばりましょう」の声を掛け合いながら進む.16時45分(スタート後22時間25分)青海島からの脱出に成功,さきほどの仙崎CP(163.3km地点)についた.

おっと通り過ぎちゃった
 ここから約11km,174.9km地点の最大エイド「宗頭(むねとう)文化センター」を目指す.夕方になって気温が下がるかと期待していたのだが,ぜんぜん下がらない.まだまだ暑い.食欲もない.朝8時のうどん半分以外何も固形物を口にしていない.あ,さっきアイスモナカを食べたか.一緒に走っていた人と「なんとか午後7時までには宗頭に着きたいね」と話しながら並走した.私も今回は明るいうちに宗頭に到着することを目標にしていた.そして午後6時56分(スタートして24時間36分)ようやく宗頭CPに到着した.しかし実はあまりに苦しくて下ばかり見て走っていたので,いちど宗頭を通り過ぎてしまったのだ.200mほど通り過ぎたところで,宗頭の後に出てくるはずの信号機が目の前に.「あれー,おっかしいなぁ?」と思いつつ,近くのガソリンスタンドで尋ねると「200mほど戻った左側ですよ」と言われてしまった.重い足を引きずって200mほど戻ると,ちゃんとそこに係の人がいるじゃないか.私がセンターに気づかず通り過ぎていくのを見ていただろうに,何で一声かけてくれないんだー.おっと,そんなこと言っちゃいけない.すべては自分の責任だ.私が悪い.

大休憩〜再スタート
 足もかなり痛みはじめていたので,宗頭で2時間ほど大休憩を取ることとした.食事と準備に30分,仮眠90分の予定だ.文化センターの入口でスタッフが「おつされさま,休んでいってください」と迎えてくれるのがうれしい.到着時刻を記録してセンターに上がり,食堂へ行く.すでにリタイヤした人がビールを飲んでいる.何度来てもここは最大のリタイヤ誘惑ポイントだ.しかし相変わらず食欲はあまり無い.それでもおにぎりを1個半と味噌汁を流し込んで二階の仮眠室へ行く.仮眠室は二つに分かれていて,一つは「仮眠用」すなわちまだ戦っている選手用,もう一つは「リタイヤ用」こちらはすでにリタイヤした人たちが寝る場所となっている.リタイヤ部屋はもう多くの人が寝ている.しかしわが仮眠用は30人ほどのスペースにまだ5人ぐらいしか寝ていない.私はここで毛布を3人分ほどガメて,足を高くして仮眠を取った.これは足のむくみを取る効果的な方法である.
 90分はあっという間に過ぎる.時計のアラームとともに体を起こし,出発の準備をする.足のむくみはだいぶ解消して,少し軽く感じるようになってきた.ウエストポーチと給水ボトルを確認して玄関へ向かう.ここを出発するのはとても勇気がいることだ.それを可能にするのは,玄関のスタッフに対して一言「出発します」と宣言することだ.そうすれば嫌でもシューズをはいて出発せざるを得なくなる.今回もそれを実行した.「お世話になりました.ゴール目指して行きます!」これを言ってしまったらもう行くしかない.後ろ髪を引かれる思いで宗頭文化センターを後にした.時刻は午後9時,スタートして26時間40分が経過,この時点で25位ぐらいだった.ずいぶん長居したと思っていたが,結構上位で走っていることを知り少し気分が良くなった.

174.9km宗頭文化センター
最大のリタイヤ誘惑ポイント
178km藤井酒店
ここから鎖峠まできつい登り
187.1km三見駅

暗闇の中
 ここからいよいよ寂しい道となってくる.街灯は全く無い.もし懐中電灯が故障したら,もう鼻をつままれてもわからないほどの暗闇だ.天気はよかったが月明かりは無い.今日は新月だった.上位を走っているので,前後に選手の姿はまったく無い.コースを知らなければ本当に不安になるに違いない.宗頭から3km進んで藤井酒店のチェックマークをして,鎖峠の強烈な登りに入る.ここも街灯は無い.林の中を電気で照らすとユウレイでも出てくるのではないかと,本当に恐くなる.速く通過したい.でも走れるような坂ではない.泣きたくなるのを抑えてなんとか国道に出ると,少しだけではあるが街灯がある.
 国道を走っていると後ろから6名ほどのにぎやかな集団が追いついてきた.私もこれに合流する.ここから三見駅まで再び暗い道が続くからだ.真っ暗な道も集団で走っていると安心だ.話をしながら走っていると気もまぎれる.そうこうしているうち187.1km地点の三見駅に着いた.ここでもチェックマークがある.
 しかしここから集団が自然に少しずつ崩れ始め,私は再び一人となってしまった.玉江駅エイドまであと7km,またしても真っ暗な道が続く.山陰線の踏切を何度も渡り,ようやく玉江の町の明かりが見えてくる.そのまま進んで玉江駅に到着した.駅の構内では数名が仮眠を取っている.私もここで15分ほど仮眠を取った.バナナとパンをいただき再スタート.少し気温が下がってきた.萩城址公園はもう目の前だ.海岸ぶちに出てきており,風が少々寒く感じる.萩城址公園は198.7km地点.時計は夜中の0時15分を指していた.いつの間にか日付が変わっている.スタート後ほぼ30時間が経過した.

193.9km玉江駅
仮眠を取るランナーも多い
204.4km笠山山頂
萩市を通過して既に200kmを越えた
207.1km虎ケ崎食堂

こんどは寒いぞ
 萩焼会館を通り過ぎる頃にはもう200kmを越えている.ここから笠山という山まで行って,虎が崎食堂で折り返す.折り返し点まで約7kmの道のりだ.すでに折り返してくる選手もぽつぽつといる.昼間の青海島と同様で,すでに折り返してきた選手の姿を見ると気が重くなる.しかし進まなくてはいけない.「前へ,前へ」と自分に言い聞かせ,先へ進むことにした.
 笠山は文字通り山である.登り坂は当然きつい.前を走る二人組みに追いつき,3人で山を登った.山頂にチェックポイントがある.ここは204.4km地点.ここから折り返しの食堂まで約3km,海岸沿いの風が寒くなってきた.しかし我慢してなんとか食堂に到着し,うどんを1杯食べた.気温が下がってきたおかげで食欲が回復している.しかし眠い.ここでいすに腰掛けたまま30分の仮眠を取った.
 時計のアラームで目がさめた.そうだ,行かなきゃ.身支度を整えて再び出発する.ずいぶん長いこと寝てしまったような気がする.何人ぐらいに抜かれただろうか.いや,そんなことどうでもいい.とにかく前へ進まなければゴールは無い.自分にそう言い聞かせ,笠山からの復路に入った.

二度目の夜明け
 復路に入り,さっきの萩焼会館が近づいてくると,これから笠山を目指す選手とすれ違うことになる.青海島の折り返しと同じで,ちょっと気分がいい.ここでもやはり「がんばりましょう」の声を掛け合ってそれぞれの目標を目指す.午前5時20分(スタートして35時間)215km地点の東光寺に到着.ここが最後のチェックポイントだ.下写真右のようなチェックシートに最後のマークを打って,チェックシートは完成する.「やった,これですべてのチェックポイントを通過した,あとはゴールまで一直線だ,長かったなぁ」といろいろな想いがぼーっとした頭の中をよぎる.ともかく,これで完走の権利は保障されたという事実にほっとしたのだった.あとは制限時間内に瑠璃光寺にたどり着けばよいのだ.すでに二度目の夜が明け,あたりは明るくなりはじめていた.

215.3km夜明けの東光寺
(暗くてよく見えませんが)
ここから約5kmで往還道に入る
東光寺のCP ここが最後のチェックパンチ,チェックシートは
もうボロボロ.でもこれでマークは全部そろったぞ!
さあ,あとは瑠璃光寺へ戻るだけだ!

ここからが本当の萩往還
 東光寺を出発して約5km,いよいよ往還道に入る.この道は「関が原の戦いに敗れた毛利氏が,萩城の建設に伴い,陰陽連絡最短ルートとして整備した道.地元の領主に権力を誇示するデモとして,常に500人から1500人の家来を従え,山口で一泊,三田尻で一泊した後大阪を目指した.(萩往還マラニック要項より)」という由緒正しい道である.幕末の武士がわらじで走った石畳,旅人を苦しめた心臓破りの峠などなど,ヤワな現代人にはとてつもなく苦しいコースである.
 ちょっと道を間違えて萩駅を通ってしまったが,それほど大きなロスも無く,萩往還入口に到着した.さあ,ここからが萩往還道だ.はじめのうちは遊歩道のような形で舗装道路が整備されているが,まもなくけものみちに入る.未舗装であることはもちろん,階段があったり倒木があったりして,「走る」というには程遠い道のりである.この往還道ではトップクラスの選手でも10分/km近くかかる.私のレベルだと12分/km,時速5kmである

往還道入口(萩側) 萩駅
本当は通らないはず,ちょっと道を間違えた

 この往還道では,他の部門(140km,70km,35kmの部)の選手とすれ違うことができる.かつてNMC三田さんが70kmの部に出たとき,すれ違う250kmの部のランナーが「神様のように見え,畏敬の念をいだく」とコメントしている.私自身は250km以外に出たことは無いのだが,すれ違う選手たちのなんともいえない視線はとても強く感じる.ここを走る250kmの選手は誰もが最高の気分で走れる.250kmの部でここまで到達した人だけに与えられるご褒美だ.それだけを楽しみに,走って歩いて往還道最初のエイド明木(あきらぎ)に到着する.まだ時刻が早く,他部門の選手も来ない.寂しいエイドだった.早々にそのエイドをあとにした.
 さらに先へ進むと,230km地点付近,いよいよ他の部の選手とのすれ違いがはじまる.「あ,250kmが来たよ」「長野県(ゼッケンに書いてある)だって」「お帰りなさーい」「すごーい,まだ走ってるー」この応援が本当に本当にうれしい.特に「お帰りなさい」を聞くと「ああ,本当に帰ってきたんだ」といろいろな想いがめぐり,自然と涙が出てくる.すれ違う時間はせいぜい20分ぐらいだとは思うが,この声が聞きたくて,これを感じたくて,ここまでがんばってきたんだ. 

226.4km明木エイド
まだ時間が早く閑散としている
往還道はこんな感じ 235.6km佐々並エイド,豆腐がうまい
ここで35kmの人の多くとすれ違う
「お帰りなさい」の声援が嬉しい

いよいよクライマックス
 すれ違い選手も一段落し,また孤独なランになる.時刻は午前9時30分,スタートして39時間10分,235.6km地点に到着した.ここは佐々並(ささなみ)エイド,ここでは名物の豆腐(冷奴)がふるまわれる.気温が上がってきており今日も暑くなりそうだ.そんな中この豆腐は絶品である.ただ残念ながら「お代わり禁止」.後続の選手のためにもここは我慢,一つだけ与えられた冷奴を十分に味わった.
 ここを出発すると,あと8kmほどで往還道最高地点(標高560m)に到着する.さあ,最後の登りだ.といってももう走る力は残っていない.「前へ,前へ」だけを言い聞かせて進んだ.とにかく前へ進むのみである.ほとんど歩きとおしただろうか.ようやく243.9km地点,最後の登りを制覇した.ここからはもう登りは無い.あとは下るだけだ.しかもゴールまであと6km.いよいよクライマックスを迎える.そう思うと,乾燥しきっている体から不思議とまた涙が出てくる.

243.9km往還道最高点
標高560m
石畳
昔の人はわらじでここを
走ったそうな
往還道出口(山口側)
ゴールまであと3.5km

 下り坂は非常にきつい.いつ頃からか左ひざ裏側を痛めており,もう下り坂も走れない状態である.地面やアスファルトと違って石畳はとても硬く,本当に足腰に負担がかかる.痛くてどうしようもない.なんども「痛い,痛い」を声に出しながらの下り坂となった.それでもなんとか走って石畳をクリヤーし,やっと往還道出口に到着した.ここは246.5km地点.あと3.5kmでゴールだ.ここからは普通の舗装道路で,下り勾配もだいぶ緩やかになっている.天花畑を過ぎてダムを越えると,右下の方に緑がこんもりしているのが見える.そこが瑠璃光寺の境内,ゴール地点だ.やっと見えた.
 不思議なもので,ここまで来ると「早くゴールしたい」という気持ちと「もっとこの状態を楽しんでいたい」という気持ちが入り混じる.なぜだろう.足は痛くてしょうがないのに.などと考えつつ,最後の曲がり角を右折すると,真正面に瑠璃光寺の五重塔が見えた.たしかに2日前にスタートした地点だ.間違いない.本当に帰ってきたんだ.そんな気持ちで最後の花道を走って登る.瑠璃光寺の入口では観光客やスタッフが大勢拍手を送ってくれている.私に対しての拍手だ.もう天にも舞い上がりたい気分で瑠璃光寺の境内に駆け込み左に進路をとると,目の前にゴールテープがあった.「やった,完走だ!」

ゴールの瞬間(完踏証の写真より)
時計は時刻,石川のスタートは2日前の18:20
瑠璃光寺前の花道 250km選手の帰還
表情はみんな晴れやか
ゴールテープはこの瑠璃光寺の境内
二日前にスタートしたところ,あと50mだ

完走できたらしい
 ゴールテープが目の前に見えてから数分間のことは全く記憶に無い.これで3度目の完走となったはずだが,なぜかテープを切った瞬間の記憶が無い.気がつくとゴール地点わきの木陰に腰を下ろして,完走証をぼーっとながめていた.どうやら私は本当に完走できたようだ.気を取り直してとりあえず自宅と三田さんに電話,「完走したよ」

その後...
 痛い足を引きずって荷物置き場から着替えを取り出し,銭湯へ向かう.銭湯までは約1km,しかし送迎サービスなどない.1kmを40分かけて歩いた.少しぬるめの湯に浸かっているとだんだん眠くなってくる.何度か気を失ったが,約1時間の入浴のあと,再びゴール地点に向かった.
 続々と選手がゴールに入ってくる.瑠璃光寺の前の花道はさまざまな部門の選手が入り混じって登ってくる.私もここで応援する「おめでとう,お帰りなさい」.花道を登ってくる選手の顔はみな日焼けしていて,しかし晴れやかだった.やがて時間もあっという間に過ぎ,18時ゴール閉鎖となった.わずかに間に合わなかった選手もいるが,この猛暑の中ゴールまでたどり着いた苦労はみな同じである.ぜんぜん面識のない人同士がお互いの健闘をたたえあう姿はとても美しい.他の大会では見られない光景だ.

さあ,凱旋帰還だ
 19時からの懇親会にも出席し,久しぶりのビールを楽しんだ.完走した人もリタイヤした人も一緒になって会話も弾む.委員長の小野さんや,実力派の選手たちの話も,とても参考になる.有益な情報をgetして,深夜の夜行バス乗り場へ向かった.
 普段はあまり寝られない夜行バスも,この日だけは熟睡できる.気がつくと朝5時過ぎ,バスは大阪市内に入っていた.バスを降りて大阪環状線を半周し,大阪駅につく.長野行きの特急列車が出るまで約2時間.いつもの駅構内食堂へ行き,朝から生ビールを飲んでしまった.さらに特急に乗ってからもビール.昼寝をして5時間後,午後2時前に長野駅に到着した

ありがたいお出迎え..そしてNMC掲示板
 長野駅改札を出ると,家内と三田さんの姿が見えた.続いて小林夫妻と田村親子の姿も見えた.みんな掲示板を見てきてくれたらしい.ありがたいではないか.まずは三田さんからの差し入れのビンビール2本をラッパ飲み.そして汗と涙の結晶である完走証を披露した.そしていつものメルパルクへ行き,さらにビールで乾杯した.
 帰宅後NMC掲示板を見た.すごい数の応援をいただいていた.やはりこれでは完走しないわけにはいかない.がんばって本当によかった.目標の40時間こそ達成できなかったけど,あの条件で自己記録を更新できたこと,またそれ以上に完走できたこと自体がとてもうれしかった

長野駅に到着 まずビールを1本ラッパ飲み
三田さんごちそうさまでした
電話でサポートしてくれた家内と
汗と涙の完踏証
中央にはゴール写真が入っている
長野駅に来てくれた方々
左から石の妻,三田,石川,田村,小林
前にいるのは田村さんのお嬢さん
こんな石川,なかなか見られませんよ

追伸
 三田さんが超小型デジカメを貸してくれたおかげで,このような完走記ができました.ありがとうございました.

参考:萩往還7不思議(石川がかってに選びました)

1.ナゾのハワイアン 紹介したとおりです
2.名犬ハギー 紹介したとおりです
3.ベテランも道に迷う 何度も参加しているベテランでも,不思議と道に迷う人が多い.
私も3回完走したが,毎回どこかで道を間違えている.たぶん
次回もどこかで迷うだろう.
4.「お帰りなさい」に涙 往還道に入って他部門の選手から「お帰りなさい」を聞くと,
毎回わかっているのに涙が出てくる.
5.ゴール後の一体感 スタート前はぜんぜん知らなかった同士でも,ゴール後に道など
ですれ違うと「おつかれさまでした」が自然に交わされる.
6.リピーターのナゾ 走っているときは本当に苦しくて,スタートしたことを後悔するほど
なのだが,なぜか翌年再びエントリーしてしまう.
7.家庭事情のナゾ 5月2−4日という連休だが,特に250kmの部に出る人は一人で
参加する人が多い.家庭事情は一体どうなっているのだろうか.
でもこれらの魅力が,大会100選で総合1位になっている理由なんでしょうね.