Santax & 長野マラソンクラブ2003/10/14-21のトップページ


何が駆り立てる長い距離に…


9月の大会報告・その2:甲州夢街道のNMC2人

東京での仕事が終わり日本橋に着いたのは午後4時20分あたり。215kmを走ってきたランナーがこの時間帯から多くなるようだった。橋の袂に既にゴールした人も含め20名くらい、そしてゴール待つ主催者の海宝さん、ゴールシーンを撮るべく待つスタッフ、応援の家族と少々汗くさいなか異様な雰囲気だった。橋を渡る人が何をしているのか聞いてきた。甲州夢街道の趣旨を説明すると驚かれる方が多かったが一応に感心されていた。主催者も歩道に関係者がはみ出ないように気を遣っていた。完走者は萩往還の250kmの帰還者たちのように神々しかった。
上の写真は19:27撮影。荷物預かりは制限時間後1時間の19時までだったが、徳武さんがもうじき来るというので海宝さんらスタッフも待っていてくださった。撮影は海宝さんのスタッフの方にお願いしたが私のデジカメのストロボが弱くてごめんなさい。-三田記-
 完走はならずとも 2人とも自己最長距離を走った。
 長野県の下諏訪町から東京日本橋への215km、かっての日本のシルクロード。これを走る「甲州夢街道 シルクロード215kmラン&ウォーク遠足」が9月27日から28日にかけて行われた。諏訪大社下社秋宮(旧中山道と甲州街道の分岐点)を27日午前6時に出発、28日の午後6時までに東京の日本橋にゴールしなければならない。昨年長野マラソンクラブ(NMC)では飯泉さんがこれに出て東京に入り迷ってしまい惜しくも制限時間内ゴールを逃したが日本橋まで自分の足でたどり着いたそのレポートはここでも紹介した(現在ウルトラ班ページに有り)。
 今年はNMCから木下幸一さんと徳武さおりさんの2人が挑戦した。木下さんは2001年八ヶ岳失敗リタイアの翌年2002年に富士五湖で100kmウルトラを初完走、八ヶ岳野辺山、秋田内陸と3大会連続で完走、くびき野だけは完走を逃したがウルトラランナーになった同年いきなり3大会を制覇した。今年も八ヶ岳でタイムを更新してきた。徳武さんは2002年歴史街道丹後でウルトラデビュー、その後NMC入りし、今年クラブメンバーが待つ中、制限時間を44秒残す感動的なゴールを飾って以降、夏には神戸で24時間走も体験してきた。
 NMCウルトラ陣では2人ともまだ経験が浅い方に属する。しかし、長い距離へ思いはウルトラのベテラン陣にも勝るものがあり、何がそんなに2人を駆り立てるのかと、問わずにはいられない。
 NMCのウルトラ班長の石川さんは今回2人とも完走には至っていないが2人の走った距離をクラブ内のウルトラ最長走行距離の分野で3番手(191km)、4番手(150km)として認定する。掲示板で石川さんは「木下さんは前の週のセルフディスカバリーのあとで自己最長の150km近くまで走ったし、徳武さんは制限時間ぎりぎりまで粘って191kmを走破したし、ホント二人ともよくやってくれたと思います。二人とも元旦マラニック50kmを走っていまして、善光寺と北向観音をお参りした甲斐があったのかなぁと、とてもうれしいです。」と書き込んだ。

さて2人の話を少し、
木下…「(帰宅して)4日ぶりに掲示板を開くと大変な数の応援メッセージ、ありがとうございました。感謝感謝です。徳武さん、最後まで頑張る根性はさすがです。帰りの新幹線でのやすらかの寝顔が最高でした。結果として完走は次回の宿題になってしまいました、、、くびき野・富士五湖117km・夢街道と増えるばっかりだ。詳しい言い訳レポートは出来るだけはやくあげたいと思います。」-当時の掲示板より-
完走者のゴールシーンはこんなだ。たぶん写真の撮り直しかな?左は海宝さん。一人一人写真を撮るので続いて来ても人を追い越すこともなく、順番待ちする場面もあった。1分1秒は関係ない感動の世界がそこにあった。
掲示板での徳武さんのリクエストによるメルパルクでの生ビールの友の会、通称「メル友」が翌29日の夜にあった。7名が集まり徳武さんの話を聞いて飲んだ。石川班長の手には徳武さんから渡されたコースマップかエイドポイントの一覧が。それで説明しているところかな?
徳武…「ペースが違うからもう会えないだろうと思っていた木下さん、スタートから一緒に走りだした。朝の気持ちのよい空気の中快調に走り、富士見峠からの下りでは周りのランナーがペースアップ、つられてはいけないいけないと自重する。31km蔦木宿で休憩。海宝さん(主催者)に激励されてパンをいただき握手。温泉もあり石川さんなら入っただろうと話す。次は車で来たい場所である。その後も順調だったが午後になり強い日差しと照り返しで徳武遅れがちとなり、終始木下さんに引っ張っていただく形になる。さぞかし重たい荷物だったろうと思う。62km第一エイド。レース中は絶対にのんだらだめと思っていたが、美味しそうに飲み干す木下さんにつられて禁断のビールを体験、一言‘うまい!’。87km第二エイドでは迷わず飲酒となりスタッフの方にビールが飲めればまだまだ行けると誉められる。その気になりやすい徳武この調子で笹子の峠もなんなくクリアーかと思われたが登り始めとともに雨が降り出し、登るにつれてざあざあ降り。ごみ袋のみの木下さんはかなり辛かったことと思う。私は上着を持っていたがそれもさすがにこの豪雨でしみだし頂上ではがたがた震えがきた。この漆黒の闇の道ひとりでは走れていたかどうか・・・木下さん感謝しています。噂の笹子のおばけは、大雨のためおいでにならなかった。峠をおりて108km最終エイド、23時15分頃。飯泉さん指定の完走ラインにぎりぎりだ。ここからはコンビニ休憩時間を短縮していかないと間に合わないと話合う。120kmすぎだったか一人旅になってからは時間も距離もなかなか進まず嫌になっていた。145km相模湖付近で夜明け。真っ赤な太陽が山あいから昇ってきてちょっと感動。ようやく山梨県を脱出したと思うとうれしい。さあ大垂水峠頑張るかと気をとりなおす。普段は好きな山道、勾配もたいして急ではないのに150km走ってきた足にはもはや力はなく速歩き。下りもはてしなく続くが我慢。高尾に到着し、ここが雑誌にでてくるトレイルランのメッカかと一人納得。このあたりからもうどう頑張っても時間内完走は無理と思われた。18時まで粘って動き続けることに目標をきりかえ歩き出す。しかし午後からはさらにペースダウンし距離は全く減っていかないし通行人に抜かれるありさま。15時を過ぎると完走が無理なランナーが途中電車に乗り、ゴール付近から走りだすためか前後左右ランナーは見あたらず心細くなってくる。もしかして最終ランナー?。通行人からは‘何やってるの?この人’という目でみられ(ているように感じ)涙がでた。ほんとに私なにやってるんだろう?しかし足が痛くはないので電車には乗れない。185km付近、東京オリンピックマラソン折り返し地点の看板を発見。なんだか仲間をみつけたように感じもう2時間で終わるからがんばろう! 18時調布駅前、日本橋まで24km地点でタイムアップ。果てしない長い長い私の旅路はゴールを迎えた。」-当時の掲示板より-
そして「メル友」の夜、191kmからまだ25時間の徳武さんの足。サンダルはまだ普通のシューズが履けないからだ。そのふくらんだ足を撮影。徳武さんは若い女性だが一応、本人の了解済み。どのくらいで戻ったかな?
さらに徳武さんの書き込みは続く
「★掲示板、メールでの応援心から感謝しています。それをみながらやっぱりがんばろうと何回も気をとりなおし粘れました。
★体調もよく故障も完治、睡魔も全く今回はよりつかず。これで完走できなかったのは力が足りなかったのだと思います。しかし悔しさは全くなく、よくもまあ191kmもいったなあと自分なりに大満足し調布までの道のりを楽しく旅してきました。都心の人ごみの中のランと号泣の日本橋完走シーンは次回のお楽しみにとってあります。来年はメダル3個獲得といきたいところですね。>木下さん、飯泉さん
★木下さんは1日目は私のペースで走っていただいてしまいかなり負担だったはず。先週のセルフディスカバリーの疲労、笹子の大雨による消耗、月曜も出勤とのことでその状態での150kmはすごいと思います。三田さん共々、ゴール地点でお待たせしてしまいすみません。木下さんのおかげで楽しい旅でした!」 -当時の掲示板より-
写真の大きい当時の暫定版はここ。 

9月の大会報告 その3 弘前白神アップルマラソン
フル百回楽走会の千田虎峰さん(愛知県)のゴール間際だ。左に曲がって河川敷公園に入り50mほどでゴールとなる。タイムは4:28:04(総合 224/383 フル男子40歳以上138/232)フルは200回を超えており、それとは別のウルトラでもおなじみのランナーだ。 長野県にも長い距離の大会はよくいらっしゃる。この日第1回大会とあり、大挙集まったフル百回楽走会の参加メンバーの集合写真はここ
 9月27日は甲州夢街道に遅れること3時間20分、遠く青森県で初めてのフルマラソン大会が開かれた。これにNMC会員では押木正暢さん(フル百回楽走会)のフル完走210回を追いかけている三田が69回目の完走を目指して参加した。
 往路は26日空路青森県入り、飛行機の本数も結構あり、青森空港からも弘前までは1時間で、その便のよさには驚いた。すでに前回のトップページで紹介したように前日受付けを済ませ、招待選手の阿部友恵さんとのツウショットも撮らせていだき会場を後にして、翌日のコースとなる岩木川沿いを歩いて弘前公園に向かったが、堤防で5kmの距離看板を立てているところを通ったので、ずいぶんと歩いたものだ。県外大会では前日入りして走るということめったにしないが、その町を歩くことが多い。弘前公園の広さには驚いた。桜の時期にTVのニュース番組で取り上げられるあの桜のトンネルも含めて、市内の人にはいいジョグコースとなり、こうした広い森のある公園は長野市のランナーからするとうらやましい限りだ。
 さて27日の大会本番は晴れ、折り返し点の白神ビジターセンターに向かう途中で雲がかかり僅かに雨が落ちる所もあったが時間が経つほどに晴れて、暑い大会となっていった。岩木川を沿いの途中まで終始眺められる岩木山は前日と同様中腹から雲がかかって山頂を見ることが出来なかったのは残念だった。フルにエントリーは463名で何名出走したかは不明、完走者は383名だった。
 コースはいたって平坦、スタートとゴールが50mほど離れている以外は折り返し点から同じ道を戻る完全は折り返しコースで走り易い。前半ごく緩く長く僅かにのぼるところがあり、従って走りながら後半は楽だなと読んでいた。本来そうなのだが、私にはこれが誤算となった。
 前日お会いした阿部さんは招待選手紹介時の挨拶で久しぶりの大会とのことで、皆さんの元気をもらって走りたいというようなことを話されていた。フルの選手の走りはフルで見たいもの。招待選手は短い種目を走ことが多いが阿部さんはフルをきっちり走ってくださった。旭化成のウェアは遠くから見つけづらくて、阿部さんの速さもありコース上の撮影には失敗。撮らせていただくと申し上げていたのにごめんなさい。
 さて、私の走り。平坦路なので楽に3:30は切るつもりでいた。あわよくばフル50回平均時の3:26であげる予定だった。前半1:43を目安タイムに出走した。折り返し付近ではフル百会楽走会の方々の写真を撮ったりしたこともあり、1:44:45あたりで中間点を通過。前半、橋をわたるごとにごく緩い長めの多少の登りとなっていたので、「折り返しからは楽」と読んでいた。ところ前半なかった風が向かい風で来て、日差しも強くなってきた。完全な平坦に戻った31km過ぎあたりからはキロ5分オーバーが続き、35km地点で3:30がぎりぎり状態。心拍を上げようとするも上がらない、ストライドも伸びない。そんな状態でズルズルいってしまった。そして半が切れないと分かった地点からさらに意気消沈、結局3:35:11(総合 63/383 男子40歳以上27/232)だった。この弘前白神6日前の高低差800mのセルフディスカバリ−で頑張りすぎた影響が後半に出たと言うことだろう。3時間半を切れない大会はもう一度行くので、これで今年は紀州口熊野、柏崎潮風、弘前と3つ出来てしまった。山頂が見えなかった岩木山、次回は是非登山とセットで行きたい。
 帰路の弘前からはJR乗り継ぎで帰り「はやて」にも初めて乗った。新幹線から接続のある最終の信越線で家に着いたがやはり飛行機便の方が楽だったかなという感じだ。-部マイダイアリーの9/27を活用- 直立写真はスタート前、いつものスタイル、ワコールCWXブラックタイツの三田です。

丹後100kmの報告はウルトラ班ページでご覧ください。
写真はスタート前の田村ファミリーと右は武捨さん。
田村…なんとか完走できましたタイムは12:18くらいです。 今回はいろいろとあって大変でしたが一緒に行った子供達ともどもとても充実した一日でした。心配いただいた皆さんありがとう。そうそう武捨さんは11時間台のコース自己ベストで完走です。 詳しくはご本人の報告を。武捨さんいろいろありがとうございました 奥様にもよろしく 。-丹後直後の9/15の掲示板投稿より-
ウルトラ班ぺージにはその武捨報告がアップされています。田村さんのお子さんは大会の50km地点のボランティアをしました。その話も出てきます。
 これからの大会
 NMCの大町参加者は連絡をください!!…

 フルマラソンでは、スピード系が揃ってでた10月12日の新潟マラソンでサブスリー2名、内初サブスリー1名、ベスト更新1名の成果ありです。ハーフでもベスト更新。海外での大成果も含め、もっか掲示板で書き込みが続いています。10月19日開催の地元の大町アルプスマラソンは、もっか、山口、三田、松島、三石、西沢、徳武、木下、柳沢、ハーフ…西島、徳武、10km…小林がエントリー。杉山会長がフルの伴走で走ることも判明、やっと12名を超えました。ここ2年ほどNMCで参加者を伸ばしてきた大町は今年20回記念大会なのですが、NMCは昨年より参加者が少なくなっています。地元大会を大切にしたいので、NMCメンバーでエントリーされた方は是非、NMC事務局までお知らせいただきたい。当日はクラブ旗又はのぼり旗を出しますので、そこにお集まりください。松島さんの初フル挑戦にご注目。
 ウルトラ 10月19日は四万十に田村、25〜26日山岳耐久に飯泉と続きます。






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