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2003/5/3更新、2003/5/13・15更新、2003/5/25更新の3回分を新しい順に紹介
2003/5/25-5/30のトップページで取り上げた話題
6月14・15両日5コースで実施の要項まとまる
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第1日の最高地点の飯綱高原フリースタイルスキー場は左手林の陰。里谷多英さんが冬季五輪で日本人女子初の金メダル獲得の快挙を成し遂げたフィニッシュ地点(およそ標高1,100m)まで登る。そこから下界を望むとスパイラル施設も見える。見えている山は長野市の最高峰でかって登山マラソンが2度開催された1,917mの飯綱山。
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長野マラソンはスキー競技の山ノ内町をスタート長野市内のオリンピック施設を回る大会として親しまれてきた。しかし、国際陸連が新たに設けた「道路競技記録公認の条件」を満たすため、2004年からコース変更が確実視され、長野市内の五輪施設だけをまわる平坦コースが予測されている。これまでの山ノ内町がはずれる。そこでNMCでは長野市内の下界の施設だけでなくフリースタイルの飯綱高原もちろん、ジャンプやクロカンの白馬、カーリング軽井沢、バイアスロン野沢温泉、アルペンの山ノ内・志賀までを網羅する文字通り「長野記念マラニック」を実施する。
本年度はテスト的にNMCメンバーで実施、2004年は全国に呼びかけてたいと構想している。これは長野マラソンのコース変更が伝えられた2月19日の信濃毎日新聞報道の後の「長野マラソンクラブ掲示板」でわずかか数時間の連鎖書き込みでまとまった「構想」を受けてのもので、同月のクラブ総会で決めた4月以降のNMCの2003年度計画に織り込まれていた。
ウルトラ班ホームページの中で既にウルトラ班・石川班長により要項まとめられ、これが公開されており、NMC今後の予定ページにも要点をupしてある。以下ウルトラ班hpから開催趣旨と、主なコースを引用する。
開催趣旨…長野オリンピックは長野市だけでなく,近隣の市町村の協力があって実現したオリンピックです.それを記念して「長野マラソン」が1999年からはじまり,主なオリンピック施設を回るコースとして親しまれてきました.しかし2004年からはコースが変更になり,マラソンコースから外れてしまうオリンピック施設も増えると考えられます.そこで長野マラソンクラブでは,長野オリンピックすべての施設を回る「長野五輪記念マラニック」を企画しました.もちろん一人ですべての施設は回れませんから,用意したすべての種目ですべての施設をカバーするという内容になっています.従来の長野マラソンで巡っていたエムウエーブやホワイトリングはもちろん,金メダルに盛り上がった白馬ジャンプ台や飯綱モーグルコースなども含まれています.2003年度は長野マラソンクラブメンバーで試験的に実行し,問題点などを解決した後,2004年からは参加者を全国に呼びかけたいと考えています。…(開催要項の「はじめに」より)
主なコース
Aコース約68.6km(個人・第1日実施)白馬ジャンプ台をスタート〜スノーハープ〜鬼無里〜戸隠宝光社〜飯綱高原里谷多英フィニッシュ地点〜スパイラル〜善光寺〜セントラルスクエアにゴール
Bコース約30.0km又は約27km(個人・第2日実施)篠ノ井駅スタート〜オリンピックスタジアム=南長野運動公園〜ホワイトリング〜エムウエーブ〜アクアウイング〜ビッグハット〜セントラルスクエアにゴール
C1コース約53.8km(個人・第2日実施)セントラルスクエア〜北長野駅〜アクアウイング〜国道18号経由で村山橋〜旧長野マラソンコース逆走19.0km〜夜間瀬〜焼額山プリンスホテル前、その後(車その他でセントラルスクエアにゴール)
C2コース約46.1km(個人・第2日実施)セントラルスクエア〜七瀬〜(国道292号)〜(国道117号飯山経由)〜大関橋〜野沢温泉バイアスロン会場まで〜(車その他でセントラルスクエアにゴール)
Dコース約75.4km(個人またはリレー・第2日目実施)軽井沢風越公園アリーナ〜国道18号経由〜オリンピックスタジアム=南長野運動公園〜ビッグハット〜セントラルスクエアにゴール
A+Cが両日わたる通しコース。雨などの場合一部コースでのみ実施。この場合、ウルトラ班で2003年内の各種大会と重ならない日に各コースを走りきる予定だ。
詳しくはNMCウルトラ班ホームページで覧いただきたい。
キツイコースにNMC4名が挑んだ。秋にもう一つの新コースフルでリベンジも
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招待選手の紹介。フルの部の招待選手はフル百回楽走会のおなじみ5名の皆様だった。写真にマウスをもってくると350名がエントリーしたフルの部8:00のスタート直後の写真となります。写真クリックで別ページへ。 |
これまでハーフマラソンがもっとも長い距離だった柏崎潮風マラソンは今回フルの部を新たに設けて5月25日に柏崎市の「みなとまち海浜公園」をスタート・ゴールでおこなわれた。全体の高低差は150mほどだが、29kmと35kmといわば後半に大なピークが2つきてランナーを苦しめた。
市民マラソンに徹していてフルの部の招待選手はフル百回楽走会のメンバー桜井光雄(ランナーズ賞受賞)、反町健二郎、竹田昭彦、小島義一、迫田法子の5名の皆様だった。そして第1回フルとあってこのフル百楽走会から50名ほど大挙参加があった。実に14%(NMCの押木・三田もフル百でカウントした場合)。
さてNMCからはほかに木下、徳武裕が参加した。長野マラソン1ヵ月後で、高速道路を使えば長野市から1時間半くらいでいけるがNMCの長野マラソンで分けたAグループ(サブスリーもしくはサブスリ寸前)からは参加がなかった。
NMCメンバーは3時間半を切ることを目指した三田が3時間36分、徳武裕が同51分、木下が同52分、押木が4時間32分だった。木下がほぼ長野マラソン並だった以外はいずれもタイムを落としており、コースの厳しさ(主催者HPのコース図 http://www.city.kashiwazaki.niigata.jp/life/joyhouse/marathon/course.gif)を裏付けた形。
同大会会場は当日「風の陣」というお祭りイベントが催されて、家族連れで参加しても家族がフルマラソンの時間中も楽しめる。木下さんが珍しく家族連れで来ていたのはそのため。この点からもコースは厳しいがいい大会だ。そうそう、ハーフやウォーキングもあるから、それぞれに出るという楽しみ方もある。さらに驚くことが…、
この秋11月9日に同じ柏崎で別コースで「第1回柏崎マラソン」が開かれる。「潮風フル」は陸連公認コースではなかったが、「柏崎フル」は「日本一キツ陸連公認フルマラソンコース」をうたい文句にしている。未公認だったが日本一キツイを売り物にした「アディダス苗場」が参加者半減で2年で打ち切られたこともあり、キツイコースは嫌われるのではないかと心配する。しかし、今回半を切れなかった三田はフル3時間15分水準に復活して秋に半内リベンジを考えている。−三田記−
写真は左上、押木さんのゴール、右は左よりお子さんと一緒の木下さん、徳武さん、三田。この2枚は写真クリックで別写真又は拡大版に
第5回長野マラソンNMCメンバーの結果(4月中下旬のトップページ)
第5回長野マラソンの写真アルバム(エムウェーブで小林純代さん撮影写真追加)
同 フェアウェルパーティ編
NMCメンバーの皆様へ(現在20名分集まる)
直前3ヵ月、そして4月の大会まで、レース内容などまとめてください
サブトラ班のHPで羽田さんが長野マラソン直前3ヵ月と4月に入ってのことを、またレース内容を振り返っています。こうした「情報」がたくさん集まると、直前3ヵ月を終わった段階で、目標タイムと練習量のバランスなどを勘案したタイム予測もかなり正確に可能になります。これはサブスリー狙いの人だけでなく、すべての人に通じます。
年間通じたレーニング量、直前3ヵ月、当月の大会まで、こうしたデータをクラブ内で蓄積してみたい。そしてNMC版市民ランナーのフルマラソントレーニング法をまとめたいですね。
是非、サブトラ班ホームページの長野マラソン報告のところを見ていただき、羽田さんらに習う形で各自掲示板に投稿するなり、データ分析を担当する駅伝部長兼サブトラ班長・轟さんへメールを送るなりして下さい。
Aグループの方はきっちり各自分析しています。特に大崩れしたBグループの方々は是非、お願いします。
トレーニング記録をとらない方は少ないと思われますので、正直に告白して!
2003/5/13-5/25のトップページで取り上げた話題
南佐久郡内めぐる9回目のウルトラマラソン100kmの部で
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ゼッケン810はウルトラ初挑戦のNMC・八木正孝 この日朝会場に着いてスタートラインきる。NMC本年1月加入の新メンバー。「まずは、完走出来て超うれしいです。時間に余裕が無いわけではありませんでしたが、40キロ以降は常に時間を気にしての走りになりました。詳しい報告は後程します。皆さんありがとうございました」と掲示板に一報があった。
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コースの高低差が約1000mあること、前半にトレイル部分があること、後半の真ん中にとても走れない峠越えがあるこで知られる八ヶ岳野辺100kmウルトラマラソンは5月11日朝5時、気温6℃の南牧村体育館前(標高1355m)から70kmも含め約1000名がスタートを切った。トレイル部・横岳登山口近くの標高1908m地点まであがることで心配された気温の低下もそれほどでなく順調に進み、むしろ曇りから陽がさす展開となったが、後半の午後3時半頃、多くのランナーが馬越峠に向かう頃より本格的な雨降りとなり、寒い中でのレースと変わった。体力が落ちる終盤には厳しい条件だった。
NMCからは昨年を上回る9名が参加した。うち故障を抱えていた2名がリタイアしたものの、残る7名は全員完走した。初ウルトラ挑戦の八木さんが完走、そして既にウルトラ完走経験者の武捨俊之さん・徳武さおりさんの二人が野辺山初完走、特にメンバーが待ち続ける中、徳武さんはラスト40秒を切っての感動のゴールでNMCメンバーの輪に包まれた。この3名はウルトラ班の企画した野辺山対策の富士の塔(高低差650m)の練習会に参加しており、その成果が現れた形だ。
既にNMCウルトラ班ホームページで報告がアップされているので、そちらで詳しくご覧いただきたい。
ちなみに同日の大会パンフレットに年齢1歳刻みのエントリー者数の一覧が出ている。もっとも多いのが53歳の46名、続いて52歳と48歳が41名で続いている(100kmの部)。NMC完走者でこれにピタリ該当するものが一人いる。また7名完走のうち、50歳代が2名とこれもウルトラの世界を反映したようだ。できればこの1歳刻み年齢別で完走者数を出してもらいたい。
この大会が秋から春のこの時期に移動してこれで4回目。移動直後500名台へ落ち込んだ100kmのエントリー者は895名と1000名を超していた秋開催時の人数に近づいてきた感じがある。コースも春開催となってより安全な道に変更されていて走りやすくなっている。NMCでも来年はさらにエントリー者が増えるかもしれない。
右上の写真はスタートの送り出し。もちろん坂本雄二さんと野辺山50kmの部を完走済みで野辺山のゴールアナウンスならこの人しかいない高瀬みどりさんだ。写真2枚は写真クリックで拡大版に。(三田記)
高瀬みどりさんからのメール 御疲れはもう取れました?私は昨夜は9時間も爆睡してしまいました。ウルトラを走る人達を私は尊敬しちゃいます。とてもとても私は走れないんじゃないかと思います。だって しゃべりつづけただけでこんなに寝ちゃうくらい疲れてしまうんですもの。疲れたという意識はないんですが,体は正直な様です。それにしても今回も又皆さんに感動させていただきました。この仕事はとてもやりがいがあります。だから声が出なくなってしまうのを覚悟で思いっきり応援しちゃうんです。「高瀬さんの声が遠くで聞こえたら元気が出た!」とか「高瀬さんに名前を呼んでもらうのを楽しみにゴールを目指します」なんて皆嬉しいことを言って下さるから・・・・・。次は豊田で24時間マラソンの司会。こちらはトラックなので私も何周かみんなと走ることが出来るんですよ!そして 丹後歴史街道100キロの司会と続きます。丹後はいらっしゃいますか?是非 御待ちしています(^0^) -5/14/8:57受信-
6月7日、辰野町で開催の駅伝、NMCチームメンバーまとまる
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昨年の「ほたる駅伝」で4区を走る塩沢さん。 |
6月8日辰野町で開催の第44回ほたる駅伝に向け長野マラソンクラブではクラブチームの選手を募ってきたが部内の締切日前の12日の段階で2チーム目のメンバーがまとまり、初の2チームでの遠征となることが決まった。
同大会のコースは辰野駅前を出発し、伊那谷の丘陵部分に上りその中腹をメインコースに走り、折り返して辰野町役場にゴールするダイナミックなコースで行われる。
第1チーム・長野マラソンクラブA(正選手6名…丸山一、轟、塩沢、小林、和田、羽田)は先の長野マラソンでもサブスリーを出している40歳代現役サブスリーのクラブのエースランナー3名を核に長野マラソン3時間15分以内の記録で走った3名で固めたクラブのベストタイム更新めざしチーム。
第2チーム・長野マラソンクラブB(正選手6名…西條、山崎、山本、佐藤、三野、八木)は当初掲示板でカメチームをとの呼びかけだったが、どうしてどうして駅伝はベテランの2名とここ半年から2年内クラブ加入のスピード派の新メンバーで構成され、第1チームにどこまでせまれるかも楽しみ。
サブトラ班ホームページで全メンバーの詳しい紹介や歴代記録などががアップされている。直接にはそのメンバー紹介を参照下さい。
第5回長野マラソンNMCメンバーの結果(4月中下旬のトップページ)
第5回長野マラソンの写真アルバム(エムウェーブで小林純代さん撮影写真追加)
同 フェアウェルパーティ編
NMCメンバーの皆様へ
直前3ヵ月、そして4月の大会まで、レース内容などまとめてください
サブトラ班のHPで羽田さんが長野マラソン直前3ヵ月と4月に入ってのことを、またレース内容を振り返っています。こうした「情報」がたくさん集まると、直前3ヵ月を終わった段階で、目標タイムと練習量のバランスなどを勘案したタイム予測もかなり正確に可能になります。これはサブスリー狙いの人だけでなく、すべての人に通じます。
年間通じたレーニング量、直前3ヵ月、当月の大会まで、こうしたデータをクラブ内で蓄積してみたい。そしてNMC版市民ランナーのフルマラソントレーニング法をまとめたいですね。
是非、サブトラ班ホームページの長野マラソン報告のところを見ていただき、羽田さんらに習う形で各自掲示板に投稿するなり、データ分析を担当する駅伝部長兼サブトラ班長・轟さんへメールを送るなりして下さい。
Aグループの方はきっちり各自分析しています。特に大崩れしたBグループの方々は是非、お願いします。
トレーニング記録をとらない方は少ないと思われますので、正直に告白して!
2003/5/3-5/12のトップページで取り上げた話題
萩往還と武蔵野の路にNMCから各1名
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資料写真:1999年は雨だった。萩往還マラニック。この大会の一番おいしいコース70kmを走った時の三田だ。石川さんは5日午後2時頃までにはこの道を帰ってくるはずだ。笠は石川さんより伝授されたもので、石川さんは善光寺の文字の入った笠で走っているはず。これは日よけにも、雨にもいい。 |
萩往還マラニックで5月2日18:05山口市の瑠璃光寺境内を石川正昭さん(長野市)がスタートを切った。確か4度目の完走を目指している。しかもベストの走りで。この大会は石川さんらの250kmのスタート(同部門は300名と例年より参加者が多い)から始まり、3日に140km、4日に70km、35kmがスタートし、他に歩け歩けの部があり、それぞれがコース上で会えるようになっている。70km以上は最終ゴール制限時間が5日18:00瑠璃光寺境内。この大会は家族で参加できる大会を謳い文句にしていたが、走る方での4部門一緒に走った家族があったのだろうか。もしかするとそんな家族もあるのかもしれない。
石川さんの走りの様子は携帯電話で連絡を受けた夫人より掲示板書き込みがあるので、その様子が数時間おきにわかる。さらにお暇な方は5日13:46長野着の「しなの」で帰ってくるので、ビールを持って夫人や三田と迎えよう。
一方、参加人数が30名と制限されている「武蔵野の路東京1周ウルトラマラニック」、何でも東京の山、公園、川、海、街をめぐる260kmという、それに飯泉大輔さん(高山村)が初参加、3日朝5:00まもなく江戸川区の葛西健康センターゆの郷からスタートする。ゴールは5日の19:00〜21:00といい制限時間は64時間のようだ。飯泉さんはこれを完走すると距離では石川を抜きクラブトップとなる。ただ長野マラソン前より体調がすくれない面があったので、無理をしなしで欲しい。受付や説明会の行われた前夜、NMCの走友で2001年ランナーズ全日本走りこみ大会個人総合トップあわび走友会の渡辺さんが飯泉さんを激励にかけつけて下さった。
NMC実施「試走会」の一般参加者からの完走後メールより
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山口さん夫妻3月30日の小布施橋から約26kmの試走会で、本番の17q地点通過のところ。お2人次は野尻湖トライアスロンです。 |
チームイージーの山口紀恵です。
長野マラソン無事完走いたしました。やっぱり30kmから先が想像を絶する辛さでした。完走できたのが信じられません。最初の坂を抑えたほうがいいとのことで、ゆっくり走ったのですが抑え過ぎました。今まで痛くなった事がないモモが中盤からずっと重かったです。ブレーキをかけてたのでしょうか? 結局当日から3日間、モモだけ激しい筋肉痛に悩まされました。心配してた膝は全く大丈夫でしたが。
目標の『笑顔でフィニッシュ』は達成されたかわかりません。
No.3877 |
山口大介 |
4:07:46 |
1511位 |
No.6353 |
山口紀恵 |
4:48:22 |
335位 |
フルマラソンは私にとって未知の距離だったので、とても苦しいものではありましたが、どこまで頑張れるか客観的に自分を見るのがちょっと楽しかったりしました。
試走会で走らせていただいたお陰で完走が成し遂げられました。ありがとうございました。
次は自己記録更新を目標に『野尻湖』を目指します!
さきの第5回長野マラソンでフルマラソン209回を完走された押木正暢さん(須坂市)、しばらく大会から遠ざかっていて実に2年ぶりくらいにフルマラソンを走られた。その押木さんのいわばマラソン人生感謝の会が4月29日須坂温泉・古城荘で開かれた。
当日は永井須坂市長はじめ押木さんの地元の走友やご近所ご家族など40名ほどが集まった。
押木さんは、自分のマラソン人生を綴ったものを朗読されて、これが感銘をあたえていた。
大会参加の資料を残されていて、ゼッケンもそのひとつ。長野県のランナーなら全国のどこの大会に行ってもいた押木さんを記憶している方も多いだろう。押木さんと一緒に走った懐かしい大会のゼッケンを見つけることができた。
復活した押木さん、次の300回に向けての気持ちがあるのだろう。長野の次として5月25日、フルの部が初めて出来る柏崎潮風マラソンにエントリー、もちろんフルを走る。フル百回楽走会や地元須坂の走ろう会、長野走ろう会などにも所属しているが、嬉しいことに柏崎のエントリーの所属名は長野マラソンクラブだ。同大会は押木さんの好きなアップダウンのコース。写真は宴が終って残っていた方に集まってもらい三田が撮影。
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