それぞれのさくら道270km

NMCベテラン飯泉さんとさとしさんの2名が挑戦しました.

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さとしさん完走記

 皆様、励ましと応援ありがとうございました。お礼とご報告が遅れましたことをお詫び申し上げます。1人で走っていても、みなさんが応援してくれていると思うと勇気づけられました。遅ればせながら、大会の経過など、ご報告いたします。

 朝7時にスタートしてから、すぐに暑くなり始めました。日中の気温は恐らく30度を超えていたと思います。最初のうちは飯泉さん、斉藤親分、萩田さんなどと同じグループで楽しく走っていましたが、40キロあたりから、足首が腫れ始めているのに気が付きました。いつもなら100キロを越えないと出ない症状です。やはり先週の富士五湖117kmの疲れが残っていたのでしょう。そのうち、グループについて行くのが辛くなり、エイドの度にやっと飯泉さんたちに追いつくといったパターンの繰り返しでした。76km付近の道の駅で、飯泉さんたちが仮眠するとのこと。迷いましたが、一緒に行動してもついて行ける自信がないので、少しでも距離を稼ぐために先に行くことにしました。

 日が沈み、暑さも和らぎましたが、足首が痛いので思うようにペースが上がりません。辛抱の走りが続きました。深夜0時過ぎ、佐藤良二君顕彰碑のチェックポイント116km付近で迷子に。30分程ロスして復帰。ひるがの分水嶺までの区間も地図と違うな〜と思いながらも道路標識を頼りに前進しました。(ちなみに、もらった地図は2000年さくら道の時のコピーで、今と随分違っていました。この後も含め、計4回迷い、延べ1時間は余計に走りました)

 分水嶺(140km)を過ぎたらあとはしばらく下りです。
 そういえば痛み止めを持っていたなと思いだし、足首にたっぷり塗って下り始めました。地図に御手洗と書いてあったのでトイレかと思っていったら地名だったりして、そうこうしているうちに御母衣湖(ダム湖)に到着。ここからは橋とトンネルの繰り返しです。歩道のないトンネルが多数あり、とても怖い思いをしました。

 ダムのエリアを過ぎると白川郷合掌の里で、ここではちょっとおやつを食べ、次は五箇山、2つ目の峠です。エイドで聞いたら大したことないよ、と言ってましたが全然そんなことない。きっと馬越峠よりもきついんじゃないでしょうか。やっとの思いで登り切ると今度は3kmにも及ぶ長い五箇山トンネルで、永遠に出口に着かないんじゃないかと思える程長く感じました。

 山を下りきると、あとは平地。何とかなりそうだと思い始めました。しかし甘かった。再び思いっきり迷子になり、だいぶ引き返して後から追いついてきたお2人について行くことにしました。このお2人、60才を越える年齢でありながら恐ろしい程の健脚。ここで置いて行かれたらゴールにたどり着けないと思い、必死の思いで付いていきました。(全行程の中で、この間が最もきつかった・・)
兼六園の佐藤桜にタッチしたのが5:30、そしてゴールしたのが制限時間の16分前の6:44分でした。

 萩往還の時もそうでしたが、今回もやはり多くの人に助けられての完走でした。感謝感謝です。こういった人間同士の関わり合いこそがウルトラマラソンの魅力ですね。

 萩とさくらはどっちがキツイか?・・どっちもキツイです!


飯泉さんリタイヤ初体験記

 昨年は、憧れのさくら道と言うことで観光気分と「絶対完走」という気持ちで参加し、運良く完走しましたが、やはりさくら道、中途半端な気持ちでは完走させてはくれませんでした。ちょっとした油断から右足に大きなマメができてしまい、荘川桜から全く走れなくなり、白川郷まで歩きで到着でした。結局そこでリタイアです。大会では何年間も連続して完走している人がたくさんいますが、そういった方のように気力を維持し続けることのムズカシサを痛感しました。過去の武蔵野や去年のさくら道のように一発勝負の完走は、自分の気力を維持させることはできましたが、2年目の今年はその気力を維持させることができませんでした。もし今年と同じようなことが去年起きたなら、絶対諦めず歩いてでもゴールを目指したと思います。今年の、自分の、さくら道は、白川郷でストップしています。

 それと話は違いますが、牧戸の町はずれであの加村さんが変質者に追いかけられたという事件がありました。女性ランナーの方、一人走りお気を付け下さい。

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