萩往還250km

萩往還史上最悪の暴風雨の中,石川は4度目の完走,徳武は175kmまで到達の大健闘でした.

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5月1日(土)

 朝の特急でまず名古屋へ向かう.途中松本から徳武さんも同乗.ここ数日で体内時計を調節してきたので,電車の中では寝すぎないように注意した.昼過ぎに名古屋に到着.
 名古屋駅ではカジさん,スケさん,さこぴーさんの3名が待っていてくれた.徳武さんは何度か会っていたようだが私は初対面.でも最近はネット環境のおかげで,ちっとも初対面という気がしない.すぐに意気投合して名古屋駅ビルのレストランへ行き,ビールとみそかつをご馳走になった.完走祈念として熱田神宮のお守りをいただいたほか,NMCレディース隊から私宛のメッセージを徳武さんが預かってきていてくれた.多くの方からの応援に胸を熱くして名古屋駅をあとにする.
 新山口で在来線に乗り換え,山口についた.また来ちゃったよという感じ.徳武さんは山口市内,私は湯田温泉のホテルに宿泊予定.山口市内の食堂で夕食をとって,明日からの健闘を誓い,それぞれの宿に向かう.

5月2日(日)

 いつもどおり昼過ぎに宿をチェックアウトして受付に向かう.今年は過去最高のエントリー数(約400名)で本部もやや混乱気味.なんとなくいつもと雰囲気が違う.説明会場に向かう途中で委員長の小野さんにあいさつをしたが,そのときの小野さんの口調もいつもの感じとちょっとちがって厳しい感じだった.
 15時から説明会がはじまる.いつもの小野節かと思いきゃ,今年は例年になく厳しい口調で,参加者のマナー向上を繰り返し訴えていた.48時間にわたる長丁場で400人もの選手が好き勝手をはじめたら収集がつかなくなる.それは当たり前のこと.でも会場内を見渡すと,ちっとも説明を聞いていない人も結構いる.実行委員の説明口調が例年になく厳しいものであったと同時に,参加者の雰囲気も例年になく「非協力的」である雰囲気を私はこのとき感じた.
 18時いよいよスタート.60名ずつ5分おきのグループスタートとなっている.徳武さんは6時05分の第2グループ,私は6時30分の最終組となった.徳武さんはやや緊張気味だったが,お互いの健闘を誓い,握手をしてそれぞれスタートした.このときすでに風が強まってきており,雨が降りそうな感じではあったが,まだ雨は降っていない.でもいつ降り始めてもおかしくはない.天気予報でも中国地方は大荒れとの予想,覚悟を決めてのスタートとなった.
 長野マラソンのせいか,やっぱり8分/kmというスピードで走ることは今の私には不可能だった.6分ちょっとのペースで40kmぐらいまでいく.途中20km地点手前ぐらいで徳武さんに追いついた.マイペースで順調に走っているように見える.生暖かい風が強く吹いており,少しずつ雨も降り始めている.

5月3日(月)

 日付が変わりまもなく第一チェックの豊田湖ボート山本亭に着いた.56km地点,スタートして7時間.実は昼過ぎまで宿には居たものの,体内時計調整が不十分でやや寝不足気味となっており,ここで1時間仮眠をとることにした.
 午前2時に山本亭を出発.気温は高いけど風雨が強くなってきている.ここから一つ大きな峠を越える.今夜は満月のはずだが雲にさえぎられていて,あたりは真っ暗闇だ.大坊の信号を左折する直前,一緒に走っていた人が歩道の縁石につまずいて大転倒.本人は大丈夫といっていたがちょっと心配(その後彼は175kmまで粘り,そこでリタイヤしたようだ)
 大坊までの下りには2箇所ほど小さいエイドがある.そこも暴風雨にさらされていて,深夜3時の暗い山奥でスタッフはびしょ濡れになりながらも,選手のために温かいお茶やトン汁などを用意してくれている.こういうことを引き受けてくれる人がいるから大会は成り立っている.参加選手は「金を払っているのだからサポートを受ける権利がある」などとワガママを言わないでほしいものだ.
 海湧食堂86kmまでいくとだんだん明るくなってくる.昨年より1時間遅れでの到着となった.ノートに到着時刻を記入する.あとからくる徳武さんがこれを見ているはずだ.先行する私はリタイヤするわけにはいかない.でもまだ眠い.ここで再び30分の仮眠.
 海湧から川尻岬まで約21kmだが,ここからまたアップダウンがきつくなる.俵島のチェックをすませ,久津農協の分かれ道にくると,ちょうどたけこう@ちいむもみじさん,続いて徳武さんとすれ違うことができた.まだ完走できる圏内にいるということを伝えて分かれた.
 川尻でまたまた30分の仮眠のあと,暴風雨の中を再出発.もう景色どころではない.昨年はド快晴の炎天下だった.自然相手のスポーツとはこういうものだ.私だけがひどいめにあっているわけではない.みんな同じ条件で走っている.もちろん徳武さんも.
 中間点の千畳敷に到着する頃は暴風雨もいっそう強まっている.ビニールカッパを着用していたが,丘の上では雨は下から吹き上げてきており,カッパなど何の役にもたたない.途中経過を携帯電話で報告することになっていたが,電話どころか背負っているリュックを下ろすのもメンドウなぐらいの暴風雨となっている.「おれはこんなところで一体何をやっているんだろう,今年は出ないはずだったのに」と思うと涙も出てくる.過去7回この大会のために現地に来ているが,こんなひどい天気の萩往還は初めてだ.
 暴風雨の千畳敷を早々にあとにして丘を下ると,少し雨が弱まってきた.いつもの女子中学生のエイドに到着,ここで昨年食べられなかった「どんべえ」を今年はいただく.相変わらず雨は降っているが,先を目指して出発した.
 黄波戸,長門を通過して青海島に入り,鯨墓を折り返して,18時30分,スタートして24時間が経過したところで青海島出口に到着した.ここでこれから青海島に向かう徳武さんと再び会うことができてほっとした.事前に「徳武さんの場合,青海島で日没となるはずだから,この島に入ってから宗頭に到着するまでの区間(145km〜175km)は一人にならないほうがいい」と言っておいたのだが,後で聞いたら結局この区間をたった一人だけで通過し175kmで力尽きたとのこと.この区間は肉体的にも精神的にももっともつらいところで,私ですらここはできるだけ近くにいる選手と一緒に行くことを心がけている.今年も同伴者を見つけ,いろいろおしゃべりをしながらの通過となった.しかも今年の場合は暴風雨という悪条件,ここを女性が一人ぼっちで通過するのはあまりに無謀.徳武さんのこの区間での消耗は相当ひどかったはずだ.
 その私は20時に宗頭175kmに到着した.しかしこの区間を集団で走ってきた私でも,この暴風雨には相当まいっている.とりあえず食事を済ませ22時半まで仮眠を取った.そして起床.しかしここで迷う.シューズはびしょ濡れで足はマメだらけで痛む.外はまだ暴風雨.このあと深夜の山越えがあることもわかっている.天気が回復する見込みはない.現地は大雨洪水警報も発令中.どうしてこんなところに次の一歩を踏み出すことができるんだろうか.今回はもうやめてもいいんじゃないか.このとき頭と体のすべてが「リタイヤ」の方向に向かっていた.携帯を取り出し,NMC掲示板の投稿画面に向かって,
「現地は暴風雨です.応援してくれた方々には申しわけないですが,もう気持ちが切れてしまいました.ここでリタイヤ宣言をして,あとは徳武さんの応援にまわります.」
というようなことを打ち込んだ.
 どんな文章でも人に見せる前に必ず何度も読み直す,というのが私のクセで,今回も投稿前に「この文章でヘンなところはないよな」と何度も読み直した.もちろん投稿してしまえばリタイヤ宣言だから,それで私の今回の萩往還は終わってしまう.それを躊躇していたわけではない.ただ日本語の文章がヘンでないかどうかを何度も読み返してチェックしていただけだ.しかしそのことが私の考えを変えた.読み直しているうちに「本当にリタイヤでいいのか,名古屋で受けた応援は,レディース隊からの応援は,NMC掲示板からの応援は,家内の応援はどうなるんだ,あとから追ってきているはずの徳武さんが私のリタイヤを知ったら何て思うだろうか」「でももうきつい,マメが痛い,この天気ならイイワケできる,今回はしかたがないよ,次回また頑張ればいいじゃないか,自分はとりあえずリタイヤしておいて徳武さんを200kmまでリードするという役もアリだよ」と様々なことが頭の中をめぐる.情けないことに自分では決められない.自宅で待つ家内に電話してみた.
 私「どうしたらいいと思う?」
 妻「徳ちゃんはリタイヤしないよ」
この会話だけですべてが決まった.「投稿ボタン」か「取消ボタン」か,長い葛藤の末に私が選んだのは「取消ボタン」だった.
 そうと決まればもう行動は速い.すぐに準備をして玄関へ向かう.ちょうどそこに私と同じく出発準備をしている人がいたので,しばらく一緒に行こうということになった.夜11時,雨の中へ次の一歩を踏み出した.

5月4日(月)

 鎖峠は相変わらずの大雨だったが,三見駅,玉江駅まで順調に進むと,時折雨がやむ時間もでてきた.しかし生暖かい風は強い.萩城址を過ぎて笠山チェックもすませ,虎が崎207kmに到着した.例年どおりここで30分の仮眠.
 仮眠をすませ,再スタート前に自宅に電話.ここで徳武さんの175kmリタイヤを知った.あの区間を一人で通過したということを聞き「だから一人で行くなってあれほど言ったじゃないか」と思ったが,それでもこの条件で175kmは大健闘だ.彼女のリタイヤは残念だが,こうなれば私はなんとしてでも完走しなくてはいけない.それにもう残り42kmまで来ている.マメがひどく痛むので,残り時間を計算し「ゴールは制限時間ギリギリかも」と家内に伝えた.
 相変わらずの雨の中を再スタート.萩往還道に入ると舗装道路から外れてますますつらい.途中の石段でスリップして地面に手をついた.転倒こそまぬがれたが,もう手も足もどろだらけだ.千畳敷に引き続きまた涙が出てくる.
 しかししばらくいくと,道の反対側からこちらに向かってくる元気のいい選手がいる.「そうだ,忘れてた.ここはすれちがいの場所じゃないか.250kmコースの一番おいしい部分じゃないか.」そう思うと元気が出てきた.35kmや70kmの選手は,ぬかるんだ萩往還道を元気にかっとんでいく.もちろん140kmの選手やウオークの人もいる.「おかえりなさーい」という,いつもと変わらない応援だ.これを聞いて元気にならない選手はいない.ぬかるみ,水たまりに足を取られながらも,萩往還道のアップダウンを乗り越え,佐々並の豆腐や私設だいふくエイドにも立ち寄り,やっと最高地点244kmに到達した.あとは石畳の下り坂だけだ.
 だいぶ雨も小降りになってきた.もう少しでゴールだ.なんとか面目は保てた.いつもの下り坂を通過していつもの交差点を右折,いつもの瑠璃光寺を正面に見て花道を登る.昨年の猛暑も厳しかったけど,今年の暴風雨も厳しかった.でもこれで4回目の完走,しかも4回連続(4年ではない)完走だ.自分の力にちょっと酔ったがすぐ考え直す.今年完走できたのは誰のおかげ?そう,応援してくれたみんなと,一緒にスタートした徳武さんのおかげだ.一人での単独参加ならきっと宗頭でリタイヤしていたはず.
 ゴールテープを切り,自宅に電話「完走したよ」.そしてすぐ徳武さんに電話.私のゴールは見逃してしまったようだが,ゴール付近には居たようですぐに会うことができ,握手でお互いの健闘をたたえた.
 いつものように入浴をすませ,ゴール地点に戻ると,続々と選手が帰ってくる.どの選手もみんなどろだらけだが表情は輝いていた.
 懇親会で久しぶりのビールを飲み,夜行バスに乗る.私はいつもの日程で長野に戻る.徳武さんは湯田温泉で1泊して翌日の新幹線で長野に戻ることになっている.夜行バスで掲示板をあらためて見直した.飯泉さんはみごと270kmを完走,私もなんとか250kmを完走,徳武さんも完走こそ逃したけど大健闘.今年も充実したゴールデンウイークとなった.

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