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・・・その向こうに完走メダル

飯泉さんが「2003年 OSAKABAYぐるっ〜と遊RUN240km」を走った.


はじめに

日本にヨーロッパ大陸、アメリカ大陸、オーストラリア大陸を横断したウルトラマラソンのスペシャリストがいる。それも女性だ。昨年開催された「ヨーロッパ大陸横断」で女性部門で優勝してしまった人だ。その人が主催している「日本100マイルクラブ」が企画した大会だ。ふとしたことから、この大会を知り、参加を決めたわけだ。日本で有名な「関西周遊」を企画している会が計画したこの大会、ドキドキワクワクしながら参加することにした。

簡単に大会の概要を説明すると、・・
期日が11月14日(金)大阪港「海遊館」広場を20時にスタートし、16日(日)19時、制限時間46時間でスタート地点に戻ってくる、という大会だ。
コースは、大阪港をスタートし、大阪湾を北上し三宮を通過して明石へ、明石からたこフェリーの乗り、淡路島に渡る。淡路島を横断し淡路島南ICから高速バスで徳島県に渡り、そこから少し南下して南海フェリーへ。フェリーで和歌山県に渡り、和歌山から北上して大阪湾に戻る・・コースだ。

大会当日

16日19時ゴールということから長野着は夜行で帰宅しようと考えていたところ、なんとその列車が春の時刻表にはあったのだが、夏のダイヤル改正時、なくなっていた。それが気づいたのが、この日だった。長野から大阪に着くまで、時刻表を読み、帰宅方法を考えながら移動することになる。しかし、どう考えても上手く列車が連絡できる方法がなく困ってしまった。最終的にコールを早くすることで、16日当日長野に帰ることができたが、列車がない場合は、夜行バスがあった。次回はこれを利用したい。しかし・・

長野から大阪まで遠い。特急しなので名古屋に着くまでが長い。名古屋から新幹線に乗車するが、会社員帰宅時間と重なり座ることが出来ず、大阪まで立っていくことになる。

地下鉄中央線「大阪湾駅」に着くと、自分と同じような姿の人を見かける。駅から集合場所の「海遊館」は徒歩5分と言いながらも全く道がわからず。しょうがないのでその方の後ろをついていくことになった。そうこうしているうちに、その方と話をすることになるのだが、その方は「大西のおじさん」と言う方で、100マイルクラブでも有名人になっていく人である。

大西さんと歩きながら集合場所である海遊館に到着する。大きな観覧車が印象的だった。広場のベンチに参加される方々を発見した。そこで切り盛りしていた、あの「阪本真理子さん」を発見する。三大陸を横断した女性と言うことで、体格も良いような感じも描いていたが、実物はと言うと、どこにでもいる一般的な女性という感じ。身長も160m弱ぐらいだろうか、どこからあのエネルギーが来るのか不思議だった。昨日聞いたところ、1月28日のテレビ番組「笑ってコラえて」で紹介されていたらしい・・

到着して、まず受付を済まし準備開始。

これから二日後の19時までに、ここに帰ってくるわけだ。一晩中走って寒くないだろうか等々考えてウェアーも考える。結局薄手のウィンドブレーカーの上下を着て走ることにした。また靴下は5本指に分かれたやつで。

スタート前、参加者全員で記念撮影をしてスタート。

海遊館から芦屋公園まで

海遊館をスタートして、まずは北上して明石のたこフェリー乗り場を目指した。

一応、コース地図は頂いているものの、全く大阪の街はわからない。走っている様子から同じように思っている人がたくさんいた。国道43号出るまで集団で走った。国道43号に出て最初に出会うのが、伝法大橋。突風の中橋を横断する。そこから少し走ると武庫川。確かここは「武庫川ユリカモメ70kmマラソン」が開催される場所。しかし、暗くてわからないまま通過した。そこから甲子園球場も通過する予定なのだが、ここも暗くてわからない。23km先の芦屋公園が第一チェックポイントだ。しかし、その途中、エイドが数回あった。それも主催者である阪本さんに用意してもらうと恐縮してしまう。掲示板でよく見かける「WANDA」さんという方も応援に来てくれた。男性だと思ったら女性だったので驚いた。

芦屋公園から明石淡路フェリーまで

芦屋公園を出発して明石までの道のりが長かった。スタートから59.8kmである。途中、三宮市役所のチェックポイントではまたまた阪本さんがエイドを出してくれた。ここで食料と給水をして再びスタート。この辺りに来ると、大西さんと横田さん、田中さんというランナーと三人で走る。ここに来ると大通りをそのまま走ることになるので集団もバラバラに。道路の標識の「明石」に向かって走ればいいので簡単だった。また途中から一緒に走っていた小原さんはここから猛スピードで明石淡路フェリーへ。そのスピードについていけなくなった。

この大会の練習会が昨年の2月ぐらいに開かれ、コース説明がされているのだが、須磨駅近辺で「すき家」で牛丼を食べた記述があるらしい。一緒に走っていた方は牛丼組と走り組に分かれた。自分はゴール時間をできるだけ早めたいと言うことで、走り組に加わり一路、フェリー乗り場を急いだ。

フェリー乗り場についたのは3時57分。そこにはまたまた阪本さんが待っていてくれた。着くと同時にカップヌードルを用意してくれた。

フェリー発が4:30。

少しだけ待合室で仮眠を取る。4:30になる前に牛丼組も合流した。

フェリーに乗り込むと、再び仮眠を取る。淡路島到着が4時50分。仮眠できる時間は20分のみだったが、気持ち体が軽くなったような気がした。

淡路島横断

さあ、淡路島横断だ。国道28号線を走っていく。海岸線をずーとラン。左手には海が見える。暗いけど。日が出たらきっと景色も良いんだろうなぁと思いつつ走る。走りながら看板を見ると、「日本標準時子午線を通る町」と書かれていた。何かもの凄い所を走っているように感じた。7時48分、チェックポイントの津名・大谷。神社の前で記念写真を撮っていると阪本さんの車が到着。給食となる。ここからボランティアで「怪速亭」の方がエイドを出してくれると聞く。あの、怪速亭が・・もう感動である。ここから海岸線をずーと走っていくとエイド発見。ついに怪速亭のボランティアエイドに到着だ。ここで忘れてしまったがカレーか何かを食べたような気がする。その後途中でコンビニ寄りながらチェックポイントへ。走りながら時々目にしたのが「たこ焼き屋さん」。明石のタコは一度食べたことがあるので、是非一口食べたいと思っていたのだが、一緒に走っている人がいたので遠慮した。走っていると中学生らしき生徒らを発見した。世間の人達は仕事に出掛ける時間か・・。

町並みを走り抜けて、山登りが始まった。この道がけっこう辛かった。

徳島県へ

次は淡路島南ICで高速バスに乗車して鳴門公園へ。かなり速いペースで走っていた人達も結局、この高速バスに乗るために2時間以上待っていた人もいた。高速バスに乗ると急に睡魔が自分を襲った。乗車は10分程度なのだが、短時間でも熟睡できた。バスを降りて鳴門公園へ。左手の海に鳴門の渦が・・。むかーし、洗濯機のCMに出ていたなぁと思い出す。公園は丘陵になっていた。登って下って一般道へ入る。途中、またまたボランティアエイドを発見。ここではビールとおでんを頂く。もうおでんが旨かったこと。バス待ちで体が冷えていたので助かった。ここから本日の宿泊所の「遊湯館」へ。

本来なら宿泊して仮眠を取るべきなのだが、帰りの電車の時刻も考え、阪本さんにはご迷惑のことだったが、仮眠を取らずゴールを目指す。ここで一緒に走ることになったのが、大阪の阿部さんだ。この方は萩往還など参加されている方でかなりの実力者だと思う。その方と一緒に走ることになった。徳島に入り南下し吉野川を横断する。吉野川・・名前のみ知っていたが、こんなに広い川だとは思わなかった。走っても走っても橋を渡りきれないのだ。利根川みたい。橋を渡り少し行くと南海フェリーに着く。この移動時間が唯一長めに仮眠が取れる場所だ。南海フェリーに19時18分に着き、フェリー発が20:00。和歌山港着が22時10分。1時間10分睡眠が取れた。和歌山に着くと外は雨。リュックからカッパを取り出して走り出す。ここから堺市の岬公園が大変だった。

和歌山県から堺市岬公園へ

和歌山に入り目に入ったのがラーメン屋。暖かいラーメンを、いや和歌山ラーメンを是非食べたいと思ったが、ここは我慢して先を急いだ。和歌山から岬公園までが予想外の時間が掛かった。和歌山港に到着したのが22:11。岬公園着が3:20だ。約5時間掛かっている。距離としては28.7km。そのくらいか。紀ノ川を渡り和歌山市を走る。初めは酔っぱらい客にたくさんすれ違ったが、それは町中のみ。町中を抜けると坂道が待っていた。ここから岬までずーと登りだ。この登りで一番緊張したのが大川峠。なんと暴走族がたくさん集結して峠でコーナーリングを楽しんでいる。ガードレールなんて車が接触してあってないようなもの。とにかく自動車が来るたびに路肩に逃げ、通過したら走り出すという状態が峠の頂上まで続く。峠を越えると岬町が見えてきた。ここからは山道でなく海岸線を走る。波打つ音を聞きながら走る。この岬町、今から10年ぐらい前一度仕事で来たことがある。その時の記憶がよみがえり懐かしかった。途中のローソンでおでんを食べる。今までウルトラをしているときコンビニでおでんを食べているランナーを見かけるが、初めて自分も食べてみた。これがなかなかいける。スープなんぞは体を暖めてくれた。この岬町を走っている時、歩道でホームレスの人らしき人とすれ違うのだが、この人はその後歩道に倒れ発見される。病院に運ばれ亡くなったそうだ。やっとのことで岬公園へ。なかなか大きな公園だ。

りんくうタウンから海遊館ゴールへ

りんくうタウンに着く頃になると太陽が昇ってきた。

しかし、このりんくうに着くのに非常に時間が掛かった。走っている正面にビルは見えているものの、そこに着くまでにかなりの時間が掛かった。

日が昇りだして町は日常生活が始まる。

走っているとジョッキングをしている人とすれ違うのだが、こういった人は必ず声を掛けてくれた。これが疲れている体に元気を与えてくれた。

ここまで来ると足の疲れと言うより、股ずれが走行を阻む。痛くて走れない。こんな経験は初めてだったので辛かった。

途中歩きを入れながら進んだ。辛くて諦めようとした時、自分を見捨てずに併走してくれたのが徳島からずーと一緒の「阿部さん」だ。彼なくして完走はなかったと思う。途中、迷惑と思い先に行ってくださいとお願いをしたのだが、最後までつき合ってくれた。

大阪の町に入り、最後の最後に自分を苦しめたのが「千本松橋」通称「めがね橋」。蛇がとぐろを巻くが如く曲を描きながらの橋になっている。「単に川を渡るだけなら直線上にしてくれよ」と思いながら橋を登り、そして渡りきった。

さー、ついにスタート地点でありゴール地点にもなっている「海遊館」が見えてきた。主催者の阪本さんは何処と思いながらゴールを目指した。

そして集合場所だった広場を見ると阪本さんらがテープを持って待っていてくれた。

ゴール後

ゴールして完走証としてのメダルをもらい、長い旅は終わった。

その後、近くの銭湯に行って汗を流した。それから打ち上げ会に参加もしようと思ったが、もう歩く元気もなくなり帰路に就く。

阪本さんそして、阿部さん・・楽しい旅をありがとう。来年もお願いします。