2002/9/15開催


 

歴史街道丹後100Kmウルトラマラソン報告:武捨俊之
 

9月15日、ゴール後の著者・武捨俊之さん。応援バスで移動した陽子さんと一緒に。
宿の窓から前方の七竜峠とスタート・ゴール地点前の海を臨む。(レース翌朝の撮影)
 「僕の生まれ故郷は海がきれいだよ。」10年も前、同僚と釣りに行き、海岸で飯盒で作った「出前一丁」をすすりながら彼に言われた。
 それが丹後だった。
 朝5時、暗闇の中、西村知美さんのスタートで出発。
 前日の移動で昼にうどんと黒豆パンを食べたまでは良かった。しかしその後、車用の眼鏡を着用しての長時間ドライブのせいか次第に頭痛に襲われる。また何故かわからないのだが胃に変調も現れ、夕食もあまり摂ることもできず食後には嘔吐してしまう始末。八丁浜の宿で明日は完走どころかスタートに立つことまで100%諦めていた。しかし、一縷の望みを託し服用した胃腸薬と頭痛薬のお陰か3時前の起床時にはかなり回復。とりあえずスタートには立てた。
 暗闇で田村さんを見つけることはできなかった。気持ちが落ちていたのでウルトラの先輩の顔があれば少しは心強かったかもしれない。
 「無理しちゃダメだよ」とカミさんに言われ、「ゆっくり、ゆっくり行ける所まで行ってみよう。無理はしない。」と心に決めていた。
 七竜峠を上っていると辺りが明るくなってくる。あの丹後の海がそこにあった。リアス式の海岸。とても綺麗だ。来て良かった。走ってよかった。
16.5km地点 SANKAIKAN前のエイドにて「きのこの山」を食べている
 しばらく走ると16.5キロのSANKAIKANのエイド。ここでは応援バスのカミさんがいる。バスに同乗の大阪の女性に写真を撮ってもらう。「胃の調子はだいぶいいよ」というようなことを話し、オレンジを4切しゃぶって再び走り出す。やがて20キロ。ここまでキロ7分を少し切るタイムだ。体調からすると少し速いペースか…
 久美浜湾一周コースに入る。湖のように静かな海だ。河口湖のコースを逆周している感じがした。
 松並木の路上で女性ランナーに声を掛けられる。自分のウエストポーチにIIZUNA CLIMBING MARATHONと書かれているのを目に留めてくれたからだ。話をすると松本在住のトライアスリートとのことであった。
 8時半を過ぎて少し暑く感じるようになる。湾一周を終え再び七竜峠を越えスタート方面へ。峠はこちらの方がきつい。歩いているランナーを見て、思わず10mほど歩いてしまう。
 峠の下りは軽快だった。下り終えると浅茂川漁港のエイド。給食のうどんはやっぱり関西風。うまい!とりあえず食べられて良かった。
 40キロ〜50キロでは5キロのラップがそれぞれ40分、41分と落ちる。ペースは悪くないので、どうもエイドで長居しすぎているようだ。
 50キロを過ぎて昨日受付をした「あじわいの郷」に到着。2回目の応援バスポイント。坂を上るとカミさんの顔がある。体調の話をして再び走り出す。胃は今のところ落ち着いていてくれている。55.9キロの弥栄町役場レストではおむすびを食べる。三角むすびを半分にしてあって食べやすい。かぶり水をしたらソックスが濡れたので履き替える。どうもここでも休み過ぎた。55〜60キロが44分台だ。
 60キロを過ぎる。いよいよ碇高原への上りが始まる。この頃からスポーツドリンクが飲めなくなってくる。胃が少しダメージを受けてきた感じだ。エイドでアミノバイタルを1袋取り出し飲む。
最初の坂を上り、さらにきつい坂へ。前方ではほとんどの人が歩いている。う〜ん、走れない。。。ついに歩き出す。歩いているのに心拍数が非常に高いのがわかる。
 坂の途中のエイドに辿り着く。「あと2キロで上りは終わりですよ」と女性スタッフの声。うむむ…あと2キロも…
 このエイドのすぐ上が70キロ地点だった。71キロはどこだったのだろうか。知らぬ間に未知の領域に入っていた。
 上りが終わり少し下ると碇高原牧場のレストだ。かなり身体全体にダメージがきている。おむすびと水を口に入れる。お茶も飲む。ブルーシートの上に座りこむ。なかなか走り出せない。座っていてもまだ心拍数が高いままだ。何人かの人のリタイアを告げる声が聞こえる。あと26キロちょっと。長野マラソンの試走会の距離だなぁ。でもあまり考えないようにする。気持ちを切り替えようとTシャツを着替えて何とか出発。
 急な下りが始まる。大休止のせいか、下りのせいか走りが軽快になる。どんどん下る。何人も何人も抜く。途中、松本の女性が前にいたので声を掛け、再びどんどん下る。75〜80キロは28分台。本日最高ラップである。
87.5km地点 道の駅「てんきてんき丹後」前を通過。応援バスの中から撮影。
 80キロからは此代峠のアップダウンだ。ラスト20キロ。野辺山の時の高木さんの顔がそれ前の下りの時から浮かんでいた。掲示板ではきっとドンドン行け〜なんだろうな(実際、本当にそうでした)と思い、上りも下りもドンドン行く。本当にドンドン行く。無理をしないはずがかなり無理している。
 87キロ地点。道の駅「てんきてんき丹後」を通過。応援バス最終ポイント。最終バスの出発間近ということでカミさんはバスの中だった。「がんばれ〜」と檄を飛ばされる。よし頑張ろう。さらにドンドン行く。ドンドンいくが少しずつ身体が言うことを聞いてくれなくなる。
 残り3.5キロの最終エイド。スタッフのおばちゃんの「本当に良くここまできたね。よくやった。よくやった。」との言葉がうれしい。
 ラストのエイドからの坂を上るとあと3キロ。信号待ちをしているとNo.89の夜久弘さんだ。信号が青になり走り出す。かなりのスピードで坂を下りていく夜久さん。す、すごい。。。自分といえばもう本当に身体が言うことを聞かない。何か眠くなってきている感じだ。頭が朦朧としてきて、ついに歩き出してしまう。平坦な道なのに走ることができない。立ち止まってストレッチをしてまた歩く。
 ラスト2キロの看板が見えてきた。よし、最後は走ろうと心に決め走り出す。
 ラスト1キロ。商店の前の信号を右へ誘導されると、ゴールの小学校への道だ。高瀬みどりさんが自分の名前をアナウンスしてくれる。右へ曲がり小学校に入るとゴールテープがひらひらと風になびいていた。

以上長野マラソンクラブ2002/9/20-29のトップページより