■「そうだ、仮装しよう。」思い立ったのは10日前。
以前伝えた県外の友人や家族からちらほらと「マラソン頑張ってね」というメールが
入り始めていた。
教育放送での放映時間も伝えてある。映って、しかもすぐ分かるには…。
数日かけてかぶりものの構想を固め、試着を行った。
頭にマリリン・モンローのマスク。ただしまともにかぶると視界も遮られ、走るどこ
ろではなくなってしまうため、帽子のようにして前後逆にかぶることにした。モンロ
ーの顔は私の後頭部に来る。
春らしさを出すため、モンローの頭に人工の桜を飾ることにした。とても目出度くバ
カバカしくなった。
さらに欲張って、新緑を表わそうとハイビスカスのレイの横にあったグリーンのレイ
を首に巻いてみる。
天使の羽根も見つけた。以上、鏡で確認する。総額420円。
テーマはなし。目立って、ついでにウケて、走れればそれでいい。
■当日、アクアウイングの更衣室で緊張する面持ちのランナーたちの横、別の意味で
ドキドキしながら袋からかぶりものを取り出す。
仮装の経験はあるが、走りながらはもちろん初めて。
数日前からクラブではサブスリー関連の番組放映があったりと、
本番を前に掲示板からも真剣ムードが伝わってきて、おちゃらけたら怒られそうで、
このことは黙っていた。
真面目に作戦を立てた。
前回の大町で、飛ばしすぎて潰れた苦い経験から、前半はジ ョグで、後半頑張ろう。
タイムは足任せ。その前半ジョグのスタート5キロ程度なら、かぶりものも我慢できるし、
数千数百のランナーの大河でいずれにせよジョグだ。
5キロ過ぎにどこかでそれを捨てレースモードに。
会場のアナウンスが響き、スタートブロックに立ってみると、
去年テレビでたくさん見た記憶のあるかぶりものランナーが殆ど見あたらない。
隣りにトナカイさんがいたのでひとまず挨拶する。
■スタート後、コースの両岸を埋め尽くす応援の多さに驚く。
ランナーも必死なら、自分の声が届けよと応援の人も一生懸命。
ほええと驚きながらキョロキョロニコニコ走っていると、何やらこちらに向けられる一定の反応に気付く。
私が通り過ぎると
「頑張れーあっ、あはははっ」笑いが起きる。
試しにわざと沿道に近く声援の至近距離を走ってみる。
「おおっ、6521、頑張れ〜、ははは。」見も知らぬおじさんが、走り始めのランナーの渦の中から注目してくれた。
さらにノリの良さそうな外国人おねえちゃんランナーズが見えたので、
その前に出て振り返り、「ハ〜イ」と声を掛けてみる。
「Oh! Nice costume!」。
間違いない、ウケている。
私は背中に着けた天使の羽根で身体が浮いている気持ちになった。
目立つこと、笑って喜んでもらえること。
アドレナリンが首の後ろからとびだし始めたのが分かった。
■応援はずっと途切れず続いていく。道の端に沿って反応を待つ。笑いが起こったら
手を振って笑顔で応える。
それを続けていくうちに、幾つものかぶりもの効果に気付いた。
○かぶりもので目立ち、応援の人も声を掛けやすく、知らない人からも多くの声援をもらえる。
(ランナーに+)
○応援、給水も長丁場。そんなときに一瞬の笑いの清涼剤で、応援の人にも楽しんでもらえる。
(応援に+。沿道のボランティアにも+)
○かぶりものをして反応を楽しみ、応えながらのランは、まさにジョグペース。飛ばしすぎをセーブできる。
(ランナーに+)
♯ちゃんとウケているかが気になって距離が気にならなかったおかげで、
♯あっという間に堤防前の25キロまで来ていた。
×キロ地点というのがときにプレッシャーになるためこれはありがたかった。
○かぶりもの同士の連帯感が生まれる。
(ランナー同士に+)
♯長野マラソン名物のサンタクロース(サブスリーランナーとの噂)からも「頑張りましょうね」と声を掛けられた。
♯折り返しでは、多くのかぶりものランナーと「大変だけどお互い楽しませて走りましょう〜」と声にならない挨拶を交わした。
♯そして気がつくと予定の5キロ地点を遥か遠く過ぎていた。行けるところまでこのかぶりものを続けてみよう、と思った。
■ちっちゃなこどもから女子高生、農作業の合間の家族やお年寄りまでランナーより
も幅広い応援の面々。反応もまたいろいろだった。一般的なのは、「頑張って〜、あ
れっあらやだ。ハハハ。」笑いまでにこの時間差が起こるのは、もちろん私を前から
見た人が目で追って、後ろ姿を見てくれたからである。顔見知りでないランナーには
応援は前からのみである。背後に全神経を集中し、笑いが起こったことを確認し、私
は心の中でニンマリ。後ろにもう一つの顔、というのはかなりのインパクトをもって
迎えられたようだ。ただ哀しいことに誰一人としてそれがマリリン・モンローと気付
く人はいなかった。クリントンにしとけばよかったかな。
独断で選ぶ元気をくれた反応ベスト3。
3位。「あーっかわい〜!」前方から桜を着けた姿を見ての声。これが数秒後には
「ギャハハ、何あれ〜!」に変わる。
2位。「・・・クスッ」これは応援の反応ではない。私が前方に出て、私の後ろ姿をとら
えたランナーの反応。かなり快感。
1位。「お姉さん、きれ〜い!」幾つになっても女はこの言葉で元気1000倍。
「ヨッ、月桂冠、頑張れ!」これは幾人ものおじさんに言われた。グリーンのレイの
せいである。言われる度に「日本酒じゃないんだから」と突っ込んでいた。
気が萎えた言葉。「暑くてご苦労だねえ」これを言われるとそんな気分になってしま
う。「へろへろ」という昇り旗を見てしまった感覚に似ている。
「奥さん!頑張れ!」・・・これはいけない。
■走っているうちに、沿道にときどき車椅子で応援してくれるお年寄りを見いだす。
家族に誘われたのか、手を振るでもなく、声をかけるでもなく、ニコニコして走るの
を見ている。少〜しスピードを落として、そのおばあちゃんにちょっと会釈をしなが
ら手を振ってみる。たちまちおばあちゃんから満面の笑みがこぼれ、手がゆっくりと
上がる。
いい天気で良かったね。わざわざ見に来てくれてありがとう。二人の間で走りすぎる
一瞬。お互いが嬉しくなって、少しだけ元気をもらったのが分かる。
ホワイトリンクを通過し、堤防道路前の果樹園の間を抜ける道路。左側の施設の前に
人垣がある。すぐにそれが、老人施設のお年寄りと職員の人だと分かる。お年寄りは
皆車椅子。きっと長野マラソンの日を指折り数えて、「あと何日でマラソンだねえ、
応援するんだよね。」と職員の人たちと交わした会話が想像できた。道幅の狭い道路
は完全に交通封鎖してあったが、なぜかランナーたちは右側に沿って走っていた。前
方で堤防道路を右側に折れるためだろう。でもこちらは完走ランナー。1秒も1分も惜
しくない。右半分に寄っていた流れから飛びだし、左側のおじいちゃん、おばあちゃ
んの列へ。ゆっくり走って振る手にパチンパチンと応えてゆく。車椅子に座っている
からハイタッチもしやすい。5000人のランナーの元気が、1日でも1時間でもおじいち
ゃんおばあちゃんたちを元気に長生きさせてくれますように。
全国の市民マラソンが、こうした施設の前をコースに選べばいいのに、と思った。
■笑顔の余裕が消えたのは35キロの給水あと。それまで自分でも驚くほど着実に踏み
出していた足が前に出づらくなってきていた。石川さんがインタビューで言っていた
「最後まで諦めない」、杉山会長と一緒に走った試走会で「歩いちゃダメだよ」、言
葉が聞こえる。勝負の時間がやってきたのが分かる。
応援の声が遠く聞こえ始め、目がクラブ旗を追い始める。捨ててくるつもりだったか
ぶりものを、やはり誰かに拾ってもらいたい愛着が生まれたから。クラブ旗のところ
に知っている人がいたら、マスクだけでも渡して走り抜こう。松代の高速下で5本、
松代大橋で1本。でも私の知っている人は殆ど今走っている人だから、旗のところに
はいないと松代大橋を渡り終えて気付く。ええいとマスクをはぎ取り、桜つきマリリ
ンモンローを手に握り、進まない足を前に運ぶ。
応援の声が変わった。「苦しそうだねえ」「頑張れ、もう少しだよ!」これはかぶり
ものランナーへの声援ではない。このときの自分の形相を葬りたい気持ちである。そ
れでも沿道の人は私が何か特別のコスチュームをしていることに関心を寄せているこ
とが伝わってくる。本当は笑顔でイエ〜イと応えたい。ゴメンナサイ、かぶりもの道
失格です。でも今は走ることに集中させて。
■直線道路を走り終え、スタジアムのゲートをくぐる。去年のエントリー漏れで涙を
のんでから1年越しの夢が叶った、ランナーだけが通過する道。まさかここをかぶり
ものをして入ろうとは、1か月前ですら予想していなかった。
スタジアムに入ると、ぐるっと回った手前のゴール付近からアナウンスが聞こえてき
た。「・・・ゼッケン番号0000、××さん、両手を大きくガッツポーズでのゴールです
!」はたと我に返る。ここは放送圏内。全国放送される最後のチャンスか。かぶりも
の魂が再び息を吹き返す。手に握りしめたままだったモンローマスクを前後を確認し
てしっかりかぶり、本来の姿に戻る。よりアナウンサーから発見されやすいように前
のランナーとの間隔を開け、わざとペースを落として走る。自意識過剰の権化であ
る。あと50メートル、10メートル、・・・ゴール通過、終了。
インパクトが足りなかったのか、説明しがたい風貌のせいか(放送コードに触れ
た?)、コメントはもらえなかった。棒になった足を運びながら、可笑しさがこみ上
げてくる。4時間とちょっと、こんなに長い時間楽しかったのはいつぶりだろう。
オレンジのクラブ旗を見てホッとしてへたり込み、ゲラゲラ笑いが止まらないキテレ
ツな格好の私を、気が狂ったと笑う仲間。幸せを感じながら、かぶりものランにはま
ってしまったことに気付く。たぶんあのサンタクロースも猿も、この快感に出会って
42キロをかぶったまま走破することに病み付きになってしまったのだ。そして自分も
・・・。
「よし。またかぶりものしよう。」
芝生の上に突っ伏した身体全体を覆う疲労感が青空にすっと吸い込まれていく気がし
た。